私が最初にパッチワークの教室と出会ったエピソードは 以前書いたのですけど、再びそのことを思い出していました。 最初の先生に出会ったのは、ボランティア募集がチラシが縁でした。 筋ジストロフィーの病気の方がリハビリを兼ねて 教室に参加されているのですけど その方たちのお手伝いをして欲しいということだったんです。 その時はまだ遠く離れたところにいる半身不随の母を思い浮かべて、 そのボランティアを申し出ました。 けれども糸を通してあげるくらいで、 とりたてて時間を取ることではなかったので 私も長女を出産直前に少しだけパッチワークをしたことがあったので その時の教材を持って、習うことになったんです。
石川に移り住んでからも習いたかったものの、 仕事に追われていてなかなかそういう機会がありませんでした。 それが、今年に入ってたまたま百徳ということで 新聞の記事に載っていた先生が、 父の眼科の通院で付き添って隣町まで通う折、 その1ブロック先の文化センターに教室を持っていることを知り、 それが縁となりその教室に通うようになりました。 百徳は、丈夫に育った子どもの着物の切れ端をもらって 母が子どもの健康を願いながら継いでいったものですけど その伝統的なものが、消えゆくことを惜しんで 先生が主催して百徳の会を作られることとなったんです。 私はとてもよい先生に恵まれているなとこの度も思いました。 パッチワークをしながら、その自らの心をとても 大事にして育てておられる先生だから、です。
結局のところ、パッチワークの技術を身につけても それで起業できるほどにお金になるものではないのだと 思うようになりました。 パッチワークというものは、時間を費やして 作り上げるものだからです。 けれど、その時間を費やし、想いを縫いこんだものであればあるほど それは価格をつけて売ることはできなくなるでしょうね。 そして、全国の展示会に展示するほどに技術をもった先生ともなれば、 今度はその展示会やイベントに足を運ぶこととなり、 作る時間がなくなってしまうんだな、と先生のスケジュールを見て 思うようになりましたね。 けれどもその大事な心を伝えていくということが 大きな意味を持つのかもしれない、と思うようになりました。 私がまだ小さかった次女を見ている間に手づくりを始めた頃は、 作ったものが売れるからという、趣味だけではなく実益になるからと 理由で作っていたものでした。 なぜなら、前の結婚生活では、共働きをするのが当然で 家で優雅に手作りをするなんていう環境ではなかったんです。 今は、私がはまり込んで作ることを、暖かく見守ってくれるパートナーが一緒です。 その意味でも今の私は恵まれていますよね。
さて、今日は、昨日のパターンにオリジナルのスノーマンのパターンを 組み合わせたタペストリーの写真をアップします。 そのタペストリーは、離婚して鳥取から石川にまで引っ越すのを 無償で手伝ってくれた義兄夫婦に差し上げました。 それでは足りないくらいのことをしてくださったんですよね。
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