地域の子どもたちを地域で守る《子どもたちの育ちゆく世界 その1》

最近、子どもたちがまきこまれる、
いろんな事件が多発しています。
そのことについて、今度小学校の役員会で、
校長先生をも交えて、対応策についての話をすると
いうことになりました。

そのことについて、ふと思ったことを
ここにまとめてみることにしました。
実は、今までも何度か生活委員のメンバーで
地域をパトロールしたことがあるんです。
今回もそういう話が出るかもしれません。
でもそんな風に一部の人が動いて、
守れる話ではないんです。
結局は、地域の人たちにも意識してもらって、
みんなで子どもたちを守っていくしかないと思うんです。

事件が起こった後に地域の人たちから
情報収集するということになってでは遅いと思うんです。
むしろ、事件が起こる以前に
事件にならないように情報収集することが大事だと思うんです。

実は、私の家は学校と通りをはさんだ隣の町内にあるんです。
しかも我が家は、家の前の大通りの交差点をわたれば、
10メートルと離れていません。
にもかかわらず、同じ町内の同級生と誘い合って
学校に行くその間にへんな人に声をかけられて、
子どもたちがびっくりして逃げ出したということがあるのです。
そのことがあって以来私は、
家と学校の間の交差点角にある、美容院に行ったときには、
このガラス越しに見える範囲内で、
不審な人が子どもたちに声をかけたりしたときには、
注意してもらうように頼んでいます。
わが子もその美容院に行っていて、顔もよく知ってもらってますから、
わが子はよく通るのを見てもらっているみたいで
そのような意識の目があることが安心だったりします。


それから、以前住んでいたハイツのすぐ裏に
大きな公園があるんです。
その公園は広くて普段人気がないことが多いです。
そのハイツのお隣の方から、あるとき、
自分の子どもが友達と一緒に公園にいるとき、
もう一人の子どもが、知らない人にトイレに連れ込まれた、と
知らせに来た、という話を聞きました。
それだからでしょう、先日公民館に行ったとき
その隣の公園で小さな子が一人で
滑り台の上にいるのをみて「大丈夫かな、一人でいて」と思ったんです。
そんな風に、周りの人たちが、気をつけてあげること。
特に不審者の出るような場所を、
近所の方に意識してもらうなど、というような
意識を喚起することが大事なことだと思うんです。

以前の日本には、村意識といったようなものがありましたけれども
今では失われてしまっているのではないでしょうか。
その今の日本の人々の変わってしまった意識が
昔には考えられないような犯罪を生み出してしまっているとも
いえるのではないでしょうか。
私は、せんだって女子高校生が殺された事件のニュースを聞いたとき、
「異常な叫び声のようなものが聞こえたときに
周りの人たちは、何事かとどうして、
一人も訪ねていかなかったのだろう」
いう疑問に持ちました。

今、子どもたちを守るという目的のために、
地域の人たちが協力して見守っていくということが
大事なことのように思います。
そして既往の地域組織の中で、(PTA、町内会など)
不審者が出た場所、及び具体例を情報収集すると同時に
独自に話し合いを持ち地域の中でできる、対応策を
考えてもらい、その方法をも出し合って
地域の情報を地域の人たちが共有することで
より意識をたかめていくようにしたらどうでしょうか。



村意識《子どもたちの育ちゆく世界 その2》



それについてあまり考えたことが
なかったのですけど、
その仲間意識というものを
私がどちらかというと嫌っていることを
思い出しました。
母が、能登の田舎町に引っ越して
もともと血圧の高かったものが
ますますひどくなってしまいました。
何しろ、人が引っ越してくるなどということが
少ない町だったのです。
会社の社宅にばかり住んでいた母が、
町でも旧家ともいえるところに入り、
その町の人たちともつきあうことになったのを
傍目でみながら、こういうところには
住みたくないと子供心に思っていて、
結婚後は、ニュータウンのように
新しく造成された土地にばかり
住むようにしてきていました。
石川も鳥取も新参者を嫌い、
人と変わったことをしたり、斬新なことをする人は
たたかれたりするようなところがありました。
そのような従来の意識ではなく、
新しい、人と人とのつながりをつくる、
意識といったものが、作られていくことが大事でしょうね。
今も小さな集落では、子どもたちを
同じ集落の人たちが、わが子同様に見てくれているそうですけど、
そのように個人主義の世界では、
育っていかないものを、作り出していけたらいいですよね。
アメリカインディアンの子育てのように、でしょうか。



「子供たちはこうして生き方を学びます」

批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします
敵意に満ちた中で育った子は誰とでも戦います
冷やかしを受けて育った子ははにかみ屋になります
ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります
心が寛大な人の中で育った子は我慢強くなります
はげましを受けて育った子は自信を持ちます
褒められる中で育った子はいつも感謝することを知ります
公正正大な中で育った子は正義心を持ちます
思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます
人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします
仲間の愛の中で育った子は世界に愛を見つけます

作・ドロシー・ロー・ノルト
訳・吉永 宏

Children Learn What They Live

If a child lives with criticism, He learns to condemn.
If a child lives with hostility, He learns to fight.
If a child lives with rdicule, He learns to be shy.
If a child lives with shame, He learns to feel quilty.
If a child lives with tolerance, He learns to be patient.
If a child lives with encouragement, He learns confidence.
If a child lives with praise, He learns to appreciate.
If a child lives with fairness, He learns justice.
If a child lives with security, He learns to have faith.
If a child lives with approval, He learns to like himself.
If a child lives with acceptance and friendship, He learns to find love in the world.

                『アメリカインディアンの教え』より


ねえ聞いて♪《子どもたちの育ちゆく世界 その3》


僕はね、2ヶ月の時にサークルデビューをしたんだよ。
その頃は話題だったものさ。
今でこそ、首の据わっていない赤ちゃんもたくさんくるし、
僕はもう、8ヶ月組に入ったけどね。
2ヶ月のような赤ちゃんは、まだ一人前に思われてないことが
多いけどさ、そんなことはないんだよ。
情報は眼から吸収しているからね、
ただ寝かされているのがすごく不満なんだ。
だって天井しか見えないじゃないか。
だから、僕はおこるんだ。座らせてくれって。
母さんは、まだお座りもできないくせにと思いながらも
僕が文句いうものだから仕方なしに、
抱っこするんだ。しかも、後ろ向きに抱っこだよ。
視界が母さんの胸だけじゃあきちゃったよ。
それに、もうおっぱいは出なくなっているし・・・

そのうちに僕は座ってじっとしているのも飽きちゃったんだ。
だって、周りの友だちは日々成長していてさ、
はいはいしている子もいれば、立って歩いている子もいるじゃないか。
僕だけまだじっとしているなんてつまらないよ。
だからね、最近は母さんに立たせてもらうんだ。
周りの大人たちはびっくりさ。
だって、お座りもできないうちから、立たせてもらって、
足をばたばたして喜んでいるからさ。
今はやっとはいはいもできるようになったからさ、
母さんに視界を移動してもらわなくても、十分たのしめるんだけどね、
目下の目標は歩くことさ。
母さんが僕をつれて歩く真似をして連れてまわってくれるのが
ご機嫌なときなんだ。
医学的には、十分にはいはいしてからの方が体の筋肉が十分に
発達していいっていうけどさ、
僕の意識の方が早く育ってしまったみたいなんだ。
人間は社会生活の中で生きているからさ、
とても多くのことを環境から学んでいるんだ。
たとえ、赤ちゃんでもあってもだよ。

最後にね、僕は、これでも男だからね、
グラマーな女性に抱かれるのが大好きなんだ。
母さんももちろん好きだけどさ、やっぱ、ふくよかなお胸でないと
なかなか眠れないんだよなっ。


2002 10/14 子育てサロンの体験談にもとづきストーリーを書きました。


子どもは育てたように育つ《子どもたちの育ちゆく世界 その4》



子どもたちの成長も早いもので、
あっというまに長女は13歳になってしまいました。
長女は、思春期にさしかかり、
次女は、ギャングの時代といわれる、小学4年生です。
私が子育てについて考えるようになったのは、
自分の子育てが一段落して、
周りが見えてきはじめたころです。
その頃、子育てサークルを支援する側として
関わるようになりました。
子育てサークルに所属する人たちは、
自分たちのことで精一杯。
でもそれを卒業すると子育てよりも
夢中になれるものを求めて
そこには目を向けなくなってしまいます。
私の友達は、子育てサークルを運営する立場として関わる中で、
子育てをする人たちが必要としている支援を場を
自分なりに考えて、子育てサロンを開設しました。
今から3年前のことです。
私は、そのサロンの開設を手伝いながら、
新しい人生の選択を考えていました。
それもまた、子育てと無縁のことではなかったんです。
とある雑誌に書かれていました。
子育ての一番大変な時期に夫が、子育てに関わらなかった場合の
離婚率について・・・

彼はあるときこう言いました。
子どもたちのために、
形だけの夫婦がどうして続けられないのか、と。
形だけなぞらえることで、
子どもは育っていくでしょうか?
そういうものではないんです。
子どもたちは育てたように育っていきます。
育てたいように育っていくのではないのです。
そのことについて少しずつ書いていきたいと思います。




子育ては、自分育て♪《子どもたちの育ちゆく世界 その5》


子どもは、親の背中を見て育つ。
言葉では、どんなことを言っていても、
その親がどんな生き方をしているかを
心の目で見ている。
その矛盾が一番よく見えるのが思春期の頃だろう。
けれども、その時に本人が
どういう生き方を選択するかによって、
はっきりと見えていた心の目が
曇ってしまう。
マザーグースの詩にあるように・・・

小さい頃、私は賢かった
でも年を取るにつれて
だんだん馬鹿になっていく



〜しなさいと言わない教育《子どもたちの育ちゆく世界 その6》

ただ、ひとつだけ成功したといえるのが、
この、勉強しなさいと言わないでも
勉強をする子供たちに育ったということ。
躾の面ではまだまだ、しなさいと
言い続けてますけどね。

保育園の保護者の勉強会に参加したときに
あるお母さんはあせりを感じていました。
他の幼稚園では、字を教えてもらったり
いろんな勉強を教えてもらっているのに
保育園ではそういう勉強を教えてもらうことがないまま
小学校に上がって大丈夫なんだろうか、と。

そのころ、長女の先生の一人が、結婚して
中途で退職されたのですけど
そのことがきっかけで、子どもたちに提案して
先生にお手紙を書くこととなりました。
これがよかったんですね。
子供たちは、自然と字を覚えて行きました。
長女も字にとても興味を示したので
その機会をのがしてはならないと
クレヨンしんちゃんのキャラクターのついた
字の練習帳を買い与えました。
本人は喜んでやりましたけど、自己流の字の書き方に
なってしまいました。
私が手直しして教えようとすると嫌がります。
小学1年になったときに苦労するだろうな、と思いつつ
そのままにしていたら、結局学校の先生に
その癖字を直してもらいました。

次女が幼稚園に入る少し前に、
二人の娘はパソコンのゲームに夢中になりました。
長女はすでに自由に遊べるのですけど
サンリオのかわいいゲームがたくさんあっても
文字を知らない次女は遊べませんでした。
それが悔しくて次女は、自分がもっていたアンパンマンの
おもちゃのボードを出してきました。
文字が書いてあってそれを押すと、音声が出るような
ボードです。
そして一人でそのボードを使ってひらがなを
自分ひとりで覚えてしまいました。

そのことがきっかけで、子供たちの興味を持つことを
伸ばしてやることが大事だと感じました。
それを応用したのが料理です。
私が、子供のころ、料理に興味をしめしても
母は取り合ってもらえませんでした。
うるさいから、あっちへ行って、みたいな感じ。
手伝ってもらったら余計に時間がかかるからいいわよ、と
母は思っていたようです。
そして実際に私が手伝うにふさわしい年齢になったときには
料理を手伝うということに興味をまったくしめさず
勉強を口実にほとんどやりませんでした。
ですから、二人の子供たちが料理を手伝いたがった時には
それなりに手伝ってもらいました。
次女はいまだにハンバーグを作るのを手伝ってくれます。
長女は、時間がないから、と逃げ腰になって
なかなかやってくれませんけどね。

でもこれはやりたいと思うことを伸ばしたケース。
残ったのは、やりたくない、と思うことを
出来る子にするということですね。



言葉がいらない関係《子どもたちの育ちゆく世界 その7》

今日は、午前中、託児をしました。
サロンに初めて来られたのが数ヶ月前。
おとなしそうな女の子で、お母さんのそばにずっと
ついているような子どもさんでした。
でもね、何回も顔を出しているうちに、
少しずつサロンの場にも慣れてきました。
可愛く肩をすくめて、が「開けて」のポーズなんです、って
お母さんが説明してくれました。
そして、あかないこまのような玩具を私に手渡しては、
「開けて」と肩をすくめるのがなんとも愛らしい・・・
それがつい、先週のこと。
そんな彼女が初めてお母さんと離れて過ごしました。
まだ、言葉が出てこないので、彼女は動作で私に教えてくれます。
「これ読んで」と本を差し出し、興味のあるパズルのところまで
私を引っ張っていきます。
一度だけ、お母さんがいないことがさびしくなって、
サロンの会場から出ようとした私についてきました。
それでも二階の階段から降りようとすると、部屋に帰るって
指でしめして、そのあとも部屋で過ごしました。
お母さんが戻ってきたのは、1時間半後。
彼女は、そのお母さんの姿をみて、「あら長いトイレだったのね」と
いうかのような表情で見ていました。
緊張していた様子もない・・・それどころか、
お友だちが周りで走り回るのをまねして、
珍しく奇声まであげてましたから。
普段、おとなしい彼女にしては珍しく、はしゃいでいたので、
そこまで心が開いていたのが嬉しかったな。
言葉がいらない関係・・・最高に素敵です♪(at 2002 10/09)

  〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆

最近は、小さな子どもと関わることが
なくなってしまいました。
小児科の待合室で、赤ちゃんを見ると

あの頃のことが思い出されます。



子育てとは自分育て《子どもたちの育ちゆく世界 その8》



子育てを始めてから変わったこと・・・
周りを気にして動くのをやめたこと。
魚座だけあって、周りに合わせることがほとんでした。
要するに自分を出すのが下手だったんです。
それが少しずつ変わったのは、
子どもと向き合うことで、感情を
オープンにするようになったから・・・
最近のお母さんは子どもたちを叱ることが
できない人が多いみたいです。
「ほら、あのおじさんにお母さんが
注意されたじゃない」っていう具合に
子どもに大事なことを教えないで、
その場をしのいでしまっています。
私は結構感情をあらわにして人前でも
子どもに文句を言ってます。
それって、周りからみたら大人気ないかも〜と
思いつつでも、
ときには感情を丸出しにしてでも
伝えないといけないかなとも思います。

それから、相手に合わせるっていうのをやめたことで
自然体で人とつきあえるようになりました。
仕事の関係上、毎日新しい人と
一緒に仕事をするのですけど
いつもマイペースで仕事をして、
それでいて、大事な事だけは
相手にはっきりと伝えるようにしています。
魚座の利点を使って誰とでもすぐなじみ、
その相手と一緒にいて居心地のよい距離を保っています。
子どもの場合はとくにそうですよね。
その子の持っている資質・・・
それを見抜いてその子のペースでつきあうことが大事です。
操作しようとしても子どもたちは動きません。
そういうことを子育てを通していつの
まにか
学んでいったみたいです



はじめてのお留守番《子どもたちの育ちゆく世界 その9》



僕ね、今日はじめてお留守番をしたんだよ。
朝、サロンに行ったときには、お母さんのそばをすぐには
離れられなかったんだ。だってね、いつもと様子が違うのだもの。
オモチャは出ていないし、あまり僕が知らない、僕よりも大きなおにいちゃん、
おねえちゃんばかりが部屋を走りまわっているんだもの。
それにね、ママが僕をはじめて預けるってことで
心配していたのが伝わっていたのかもしれないな。
僕は、何度もママをさわってね、確認しないではいられなかったんだ。
そうこうするうちにね、顔なじみのお友だちもきて、
お母さんは出発したんだ。まっ、不安はあったよ。
だって、僕はずーっとママにべったりでいたんだもの。
だけどね、あん先生が僕にいいものを貸してくれたんだ。
なんだと思う?デジカメなんだよ。しかも、本物だよ、本物。
サロンにおいてある、ピンク色のキティちゃんのオモチャのとは違うんだ。
おうちにもあるけどね、こういうものって大事にしまってあって、
興味はあっても貸してもらえないんだよ。
でもね、あん先生はデジカメを二つもってるんだ。
そしてね、そのうちの小さなカメラの方は、最初に買って失敗したほうだからって、
特別に持たしてくれたんだよ。
僕のそばで、あん先生は、得意そうにデジカメの説明をしていたよ。
僕にはよくわからなかったけどね、画素数がどうとか、こうとか。

そのうちに、あの部屋では、普段やらないリトミックが始まったんだ。
いつもは違う場所でやっている、子育て支援のクラブなんだけどね、
今日は会場がとれなかったってことで、このサロンの部屋でやったんだ。
僕は、リトミックの先生がとりだしたミニーちゃんの人形を見に歩みよったんだ。
そして、ミッキーマウスの音楽に合わせてみんなが踊りだしたよ。
今日は、3歳になったような子どもたちばかりのクラスだったから、
1歳4ヶ月の僕にはちょっと入りずらくてね、僕一人ぼーっと立ってたんだ。
そのうちあん先生がそばにやってきて、
一緒に踊ってくれたけど、もうひとつの乗りだったな。
でも、あん先生のおひざはよかったよ。
あん先生がゆらゆら揺らせてくれたらね、やっと僕にも笑顔が出てきたんだ。
それから次に、なが〜い紐が出てきて、みんながそこを
くぐりはじめたな。でもさ、僕には興味が感じられなかったんだ。
だからね、あん先生が忘れているらしいから、
カメラの方を指差して、あん先生を連れて行ったんだ。
「そうよね、デジカメで写真を撮らなきゃ」ってあん先生も
やっと思い出して、カメラを取りにいったよ。
そのあとは、お絵かき。
僕も水曜日のクラスに参加しているから、お絵かきの先生のところに絵を取りにいったんだ。
それから、ママの持ってきていた、バックのところにあん先生を連れていったんだけど、
ママったら、僕のクレヨンを入れてきてくれなかったんだよ。
こまったママだなあ。しかたがないから、部屋にあったマジックで代用だ。
さすがに、みんなが帰り始めて、部屋が落ち着いたら、
僕思い出して言ったんだ。「ママ」って。
でも呼んだのも一回だけ。あん先生が「もうすぐママ帰ってくるからね」って
言っていつものサロンのおもちゃを取り出してくれたから、
そのあとは、お医者さんセットで遊んだんだ。
ママは、僕の背中の方からそーっと帰ってきたよ。
僕、全然泣かなかったよ。偉かったでしょ。
ママの顔をみて、ママのそばにいったら満面の笑顔が出てきてね、
そのあとはまた遊びに満喫さ。今日はたのしかったよ。




引きこもり《子どもたちの育ちゆく世界 その10》


偶然昨日見たテレビが
引きこもった子どもを
親から引き離して、集団生活を
させるというような寮のお話でした。
このような、自立支援の施設が
ようやく増えてきたみたいです。

初めて引きこもりをマスコミで目にしたのは、
宮崎勤の事件でしょうか。
その後神戸の少年の事件があって
引きこもりにだんだんと光があてられるように
なりました。
それは不登校や引きこもりをしている少年たちが
事件を起こすことで社会に害をあたえるように
なってきたという悲しい現実が
浮上してきたからでしょう。
けれども8年ほど前、
弟が引きこもりを始めた頃には
情報があまりありませんでした。

親が関わったのでは、限界があり、
他人が入ってサポートをする必要があることは
知っていましたが、
昨日のテレビで少しまた見えてきました。
子どもが家に引きこもるのは、
そこが居心地がいいからなんです。
社会にはなじめないけれども家では
天下が取れます。
親に暴力を振るうのは、そうすることによって
親を操作したいからなんです。

だからこそ、親から引き離して、
まったくの集団生活の中に身を置くことで
社会性の育っていない子どもたちに
社会性を育てていきます。
それは、たぶん知識ばかりを詰め込むことはしても
人と人との関わりをを自分の体験として
積み上げていけなかったことに
起因するのでしょう。

体験に目を向けることのできない子どもたちは、
そこから何も学べません。
何をどうしてよいのかもわからないまま
指示待ち人間に育つのかもしれません。
ただ目にした情報を取り込んで
その情報が自分にとって有益なものなのか
それとも有害なものなのかも判断せず
むやみに取り込んでいきます。
けれども本当に学ぶということは
その自分と向き合って、
考えていくという行為をも含んでいるのです。

引きこもりを経験した子どもたちによる寮生活。
そこには、甘やかしも慰めもなく、
ただ淡々と社会性を身につける訓練の場でしか
ありませんでした。
けれども、ひとつひとつの訓練を
乗り越えていくその体験が
子どもたちをたくましく成長させていきました。
第3者がいう、「よくがんばったね」の言葉よりも
その仲間の一言が、大きな意味を持つのでしょう。
逆に家族という関係の中で
育ちにくくあるものを、今一度
私たちは考えていかなければいけないと思います