私の読書歴 その31 愛と親しさの鍵


この種の防衛のもうひとつの興味深い形態に、
心理学関連の著作を読みあさるということがある。
本書の読者に注意を促したい!人によっては、
魂の探求を、心理学の本をかたっぱしから
読むことによって行おうとする者がいる。
しかし、こうした本は人生や心の問題を
それぞれ異なる視点から語っていることが多い。
誰か、心理学書を読む心理について本を書くべきだろう。
こうした本を読みすぎるのは、現代の心理学的病理のひとつである。
セラピーにきた連中に、私はよく読書から一年間遠ざかるように勧める。
読書は魂に注意をむけることから人々の気を逸らす働きをしがちである。
なぜなら、他人の考えが本人の思索の場を奪ってしまうからだ。
それぞれの人間が独自の心理学的な辞書をもっているほうが好ましい。
そのほうが、自己啓発のマニュアル本によって際限なく提供される考えから
キーワードを借用するより、はるかに有効だろう。

    『ソウルメイト 愛と親しさの鍵』 トマス・ムーアより


次第に本を読むことよりも、
自分の心のひだの奥の想いに目を向けたり、
自分自身の魂の声に耳をかたむけてることの方が
大事だと感じるようになりました。
心理学関連や精神世界の本を読みあさるにつけて、
その内容を理解することよりも
自分自身の体験に重きを置くべきだと
感じるようになったからです。

昨年縁あって、隣町の大学の心理学研究所を
訪ねることとなりました。
その時に私が心理学に興味を持っているという
話はしましたけど、
ではどんなことの興味があるのかというと
うまく話せませんでしたね。
トランスパーソナル心理学をはじめとして、
現代の心理学の本をあれこれ読んでいても、
心に残っているのは、アドラーの子育てのための心理学、
セルフカウンセリングを通して自分を
見つめること、など自分の人生に生かせるような
実用的な内容になるんですよね。

この『ソウルメイト 愛と親しさの鍵』を手にした2002年は、
私の人生における何度か目の転換期になりました。
その頃読んだ書物と共に、その頃を振り返ってみようと思います。




私の読書歴 その32 『私をコントロールしないで!』


実家に移り住む理由を話した、そのあとで、私は買い物についてきたがる、
パートナーをふりきって、一人で書店に行った。
子どもたちを友だちの家に送り出してのこと。
書店に行くことは、最近はほとんどない。
だから、この休日のひと時、一人という時間を一番必要なところで過ごしたかったの。

私は自分にアドバイスしてくれる本が欲しかったので、
4冊の本を手にしたあとで、振り返って書棚を見て出会ったのがこの本。
しかも、2002年9月20日初版発刊。
偶然とは、常にそのように用意されているのです。
副題は、あなたを支配するパートナーとの縁の切り方。
私は自分の手にした本の一冊をこれと取り替えた。
帰ってきてから、赤ペン片手に一気に読んだ。
赤ペンは、気になるところに線を引くため・・・

何人ものアドバイスしていただける方に関わり、なんら答えは得られなかった。
だから、自分で答えを探すしかなかった・・・
そこで見出したもの、は、全てこの本に書かれてあったの。
私が理想だなと思いながら書き記した、絆・・・・
これこそが、この本のいうコントロールのないパートナーとの関係そのものであり、
私が今歩んでいる過程は、そのコントロールから脱する歩みあることが実証された。

そこにはこう書いてある。


コントロールのある環境と両立させていくためには、忍耐力が求められます。
コントロールがあっても自由でいられるように、
自由の定義を自分の置かれた環境に即して調整していかなければなりません。
そのためには、コントロールの及ばない自分だけの時間を大切にすることです。

カップルの問題を解決することがいかに大変かは驚く人は少なくありません。
問題を複雑にする理由は山ほど考えられますが、
多くの場合、なかでも最大の要因になっているのは、
気持ちの上での信頼感が失われてしまうことです。
コントロールの発達過程で積み重ねられてきた嫌な出来事が、
その都度信頼感を傷つけ、ついには粉々に打ち砕いてしまって、
大部分の人々がそれを回復することができなくなってしまうのです。

信頼感を取り戻せるか、取り戻せないか、二つに一つしかありません。
信頼とは、求めて得られるものではなくて、贈り物として差し出されるものなのです。

           『私をコントロールしないで!』
           (リチャード・J・ステナック博士著 VOICE)


私は、自分にコントロールが及ばない関係に身をおいている。そのために、
二人の関係は以前とは、全く異なるものとなってしまった。
そのことから、私を失うのを恐れてなお、私に愛情を要求する。
これだけの愛情を与えているのだから、それに応えよ、と。
過去に傷つけたことに対しては、「ごめん」と言ったじゃないか、と彼はいう。
それでいて、私が歩む人生に対してはなんら理解をしめさず、
それを阻む言葉を平気でいう・・・
彼の言葉には「責任」がない。

「責任なんてもてない」と自分を擁護しているから、その責任のない、
気分で吐く言葉が、相手を傷つけることがわからない。

厳しい現実・・・・。人は、何故優しくしないの、という。
相手が改心して、家事、育児に関わるようになったのに。

傷つけられて、ぼろぼろとなり、同じ空間にさえ
いられないほどなってしまったのに、
どうして、愛しているふりができるだろう。
        
                      (at 2002 09/23)

追記:この本の題名を検索にかけたところ、過去に書いた
あんのおしゃべりが出てきました。
こういうことを書き記していたんだ、と忘れていた文章を
読み直しました。





私の読書歴 その33 周波数


周波数は、あなたから別な人へと流れていきます。
そこに愛のきずながあると、とくにそれが起こります。
愛のきずながあるということは、二人が永遠に
くっついているという意味ではありません。
二人がお互いを尊重し、エネルギーを交換し合って、
まるでオープンにした電気回路をエネルギーが流れるように、
エネルギーを交換するというところから見て、
適切であるとあなたがたがみなす期間のあいだ、
その関係を持続するという意味です。
二人がお互いを愛しておらず、愛のきずなで結ばれていないときには、
エネルギーの交換はありません。回路が開かないのです。

 『プレアデス+かく語りき』 バーバラ・マーシニアック

このプレアデスのシリーズは私が好きな本です。
最初に読んだチャネリングの本は、シリウス星のものでした。
それはとても知的で、感情の含まない文章で、
地球の歴史について語っていたのを覚えています。
その本の紹介もしたいのですけど、題名が出てきません。
ただ、ひとつだけここの記しておきたいことがあります。

同じ意識を持つ人々が時空を超えて出会い、つながるようになる。

私は、この言葉をずーっと心に刻んでいました。
そうです。このブログを読んだ方は感じてくださると思いますが、
このネットこそが、現実では出会えないながらも
同じ意識を持った人々との出会いをもたらしてくれているのです。

プレアデスの星の人々は、ヨーロッパ系の人々の祖先にあたるみたいです。
私は色の違う人種というものが、宇宙から運ばれた遺伝子だという説に
親しみを感じています。
今オーストラリアのアボリジニに通じる星の人との交信録が
本になったものを読んでいます。
するとそれぞれが自分の星のこと、とその子孫についてしか
語らないんですよ。
そのことしか知らないからなんですよね。

何が本当であるかは、自分で考えなさいと彼らは言います。
私の言うことを信じなさい、とは言いません。
ですから、私は地球の思考という枠組みを超えた、
宇宙の人々の声に耳を傾けるのが好きです。




私の読書歴 その34 マヤン・オラクル


マヤン・オラクルとは、その名前から類推されるとおり、
古代マヤの叡智から生まれた本です。
その時の私は、私が私であるために越えなければならない、
最大のコントロールドラマと向き合っていました。
誰かのために自分を犠牲にする人生を生きるのではなく、
自己実現のための人生を生きるということの選択でした。
その頃手にすることとなったのが、このマヤン・オラクルの
カードです。

最近になって、この本を手元におくようになっていました。
占いがブームとなっている、今日ですけど、
私が一番信頼を寄せているのが、
マヤン・オラクルのカードだったからです。
ふとインスピレーションを感じたのをきっかけで、
ある方のカードを調べてみました。
そこに書かれていたカードの説明の中で
飛び込んできたのが、シリウスとプレアデスという星の名前でした。
そのふたつの星は、もっとも私が親しみを感じる
星でもあったのです。
だからといって驚くことはありません。
私の大好きな赤毛のアンの作者、L.M.モンゴメリが
その作品の中で書いている、カーテンの向こうにある素敵な世界だと称する
インスピレーションのかなたには、アカシックレコードのような
宇宙の意識に通じているからです。
それは、誰かに与えられた特別な力ではないのです。
その、誰もが光そのものであるという、そのコードを
引き出すキーになるのが、このマヤン・オラクルのカードなのです。





私の読書歴 その35 聖なる予言 実践ガイド


コントロールドラマとは何か?

第4の知恵では、人間は互いにエネルギーを
奪い合っていると教えています。
私たちは、心理的な高揚感を感じるためにそうするのです。
つまり私たちは、他人から注目され、愛され、認めれ、
指示され、容認されーすなわち、エネルギーを
あらゆる形で得なければならいと信じているのです。
子どもの頃、両親とどのような関係にあったかによって、
私たちはエネルギーを自分の方へと引き寄せる方法を学びます。

         聖なる予言 実践ガイド 
         ジェームズ・レッドフィールド/キャロル・アドリエンヌ

聖なる予言の本もこの実践ガイドの本も
手元にはなくなっていました。
人は、本を手放すなんてもったいないといいますけど、
やむを得ぬ事情があったからです。
それは、離婚するために実家に引っ越すので荷物を
減らさないといけなかったこと、
それに離婚後の生活費をためるために本を
お金に換えなければならなかったことです。
私が働いたお金は、本に変わり、そして魂に栄養を与えた後、
生活費に変わったということですね。
けれども先日、古書店でこの本をもう一度買いました。
おれておしわくちゃになってラインもひいてありましたから、
100円でした。ラッキーでしたね。
本は外見ではなく中身ですから。

私が夫と離婚するのに一番必要だったのは、
このコントロールドラマを越えるという体験でした。
そのことについて一番の教科書は、聖なる予言の実践ガイドでした。
このことは、別の機会にふれようと思います。
“DVと女性の自立”というテーマにて
子育てのコーナーにバトンタッチします。
なぜなら、社会的に弱い立場へと
そのヤエバはむけられるからです。





私の読書歴 その36 ワクワクする仕事をしていれば、自然とお金はやってくる


突然にこの本のことが思い出されました。
ワクワクする仕事、というのは
自分がやりたいと思っている仕事とは違うことも
ありうるってことなんです。
“頭で”こういう仕事をしたいな、と思うことと、
本人に合っている仕事とは実は異なることが
多々あるんですよ。

私の場合をとってみましょう。
入力データと経理の仕事を主に過去にしてきました。
でもそれは、共働きをするためにできる仕事を
していたにすぎないのですよね。
その仕事でワクワクするのか、というとそうでもありません。
私がワクワクするのはやはり、創造に関わる仕事でしょう。

今“軽作業”というワークをしています。
メール便の発送関連作業とチラシの梱包等です。
数社にまたがって派遣されている仕事ですけど、
自分に結構合っているなと思います。
頭を使わないでコツコツとする仕事の方が
私にはいいみたいです。
それに適度に体を動かす仕事の方は、
体のためにもいいのだと最近は実感しています。
たいていの女性は、事務に憧れるみたいですけど、
事務仕事は神経を使うんです。
それだけがすべてならばよいですけど、
私の場合は夢実現という目標があって今を生きていますから、
月2回のパッチワークの教室に参加すべく
単発で日にちの融通のきく今の仕事が
とても都合がいいのですよね。

この本が言わんとしているのは、
ワクワクする仕事と出会えるように自分を知ることが
大切なんだよ、ということになるのかもしれません。
決して、楽して儲けられる話に通じるのではありません。




私の読書歴 その37 前世ソウルリーディング


前世というのは、過去世をしめすのではないんです。
その魂が持っている課題とでもいいましょうか。
私は過去世というものに興味をあまり持ちません。
自分が赤毛のアンが好きだから、
アメリカの開拓時代に生きていたらいいな、とか
ビクトリア時代のあのドレスが好きだから、
ああいう時代にも生きていたかしら?などと
想像を張り巡らすことはあります。
でもこの本には、そのようなことが示されてはおりません。

どんな過去に生きていたかが大事なのではないのです。
その過去において、その魂が経験した中で
何を学び取ったかが重要なのです。
同じ本を読みながら、人にとって受ける印象が異なったり、
心に残る文章が変わったりするのは、
その人の経験値により受けとめる部分が変わってくるからでし
ょう。
シンクロしてその人に必要な言葉が
目に止まるという現象なのかもしれません。

ホロスコープをもとに分けられていますが、
生まれ年とその月が、その人の魂を決めるというよりも、
その魂が課題の応じて、その生まれる日を選んできているのか
もしれません。
私の場合は、ドラゴンヘッドが獅子座にあり、
生まれ月は魚座でした。
私の離婚がスピリチュアルな体験と化するのに、
次のような文章がアドバイスしてくれました。


あなたの義務感と完璧でありたいと願う傾向は、
最悪の結婚にあなたをつなぎとめ、あなたの奴隷のように
へりくだった姿勢が相手からの虐待を招くことすらあります。
相手に対する責任感があなたの心からの愛情ではなく、
役割意識から来るものだった場合、相手があなたを
どう扱おうと、あなたにとって終わりのない苦痛に
満ちた奉仕の連続になるでしょう。
しかし自然な人間としての反応を正直に示すと、
相手はあなたの領域と限界を知り、お互いに尊厳と感謝を
感じ合えるような関係が築けます。
あなたが幸せで建設的な関係を望むなら、
これは避けて通れない道なのです。


別のレベルであなたは自分が完璧でないことについて
罪の意識を感じます。
あなたは相手が完璧でなくても寛大で、相手が
暴君になるまで放置します。
あなたが耐える仕打ちはあなたの自尊心を著しく傷つけます。
それはあなたがその結婚生活を断ち切り、新しい関係を
ほかの場所で築くことすらできないのではないかと
感じさせるのです。
しかしあなたの心の、そして霊的な平和を破壊するような関係
からは
自らの力で脱する必要があるのです。
分析も批判もなく、ただあなたの平和な暮らしを乱す
相手の近くから立ち去るのです。
これにはあなたの心、つまり精神の平和の感覚を信じ、
あるべき方向に導かれていることを信じる必要があります。

 前世ソウルリーディング〜あなたの魂はどこから来たのか〜

 ジャン・スピラー著 東川恭子役 (徳間出版)




私の読書歴 その38 「夢ノート」のつくりかた あなたの願いが、きっとかなう


この本によって、私は夢ノートという言葉を知りました。
小学生の頃、夢日記というものを本で知り、
つけたことがありましたけど、今回の場合は違います。
それ以前に私は夢ノートをつけたことがあったことを知ったのです。
それは、長女が生まれて1年とたたない頃です。
何故覚えているかというとその頃、共働きを
したくても勤め先が決まっていないために、
保育園に入れられないという状態にあり、
夫婦関係も経済的なことを理由にギクシャク始めたからです。
共働きをして当然だという夫ゆえに、
私は自分で人生設計を考えざるを得ませんでした。
長女を保育園に入れて働くけれども、
2人目も欲しいといっているから、このくらいの年には
また出産することになる。
けれども二人を連れて共働きをするとなると、
今度は車の免許を取らざるをえないだろう、と。
その計画を年表にしたためておいたんです。
そのノートのことは、長女を保育園に預けて働き始めたら
ほとんど忘れていましたが、
実際にはそのとおりになっていました。

2人目出産後にこの本を書店で読んだとき、
私はそのノートのことを思い浮かべました。
そして、再び夢ノートを書き始めました。
先日、本を探していてその時に書いた夢ノートが出てきました。
赤毛のアンの著者L.M.モンゴメリが、
一度は出版社に見てもらってボツになっていた、
赤毛のアンの原稿を物置で見つけて再度読み出して
止まらなくなり、それを書き直したものが
今の赤毛のアンになったといいます。
それと同じような感動をこの夢ノートに記されたことを
見て私自身が感じました。
そこに綴られた夢は、今のサイトに実現されていることが
書かれていますので省略します。
でもひとつだけまだ取り残されているものがありました。
それについては、“子育て”のコーナーにバトンタッチして、
書き綴っていこうと思います。




私の読書歴 その39 「心の基地」はおかあさん


1 子どもの目、輝いてますか―自発性を育てる
(「よい子」ってどんな子?;自発性はこのようにして発達する ほか)
2 「心の基地」ができていますか―思いやりを育てる
(親の「思いやり」が子の「思いやり」を育てる;お母さん、自分の心が見えますか? ほか)
3 気になる性質の子どもたち―困ったことが起こる前に
(気力のない子ども;引っ込み思案の子ども ほか)
4 子どもの問題行動―その原因と対策
(登校拒否;性的な問題を起こす子ども ほか)

平井信義さんの本は、私が愛読した子育てのための本です。
子育ての本はあまり多くを読んでいません。詳細は、目次を
コピーしてみました。
でもね、平井さんの本の内容はあまり覚えていないんです。
それでいて私が心に刻んでいる方の一人なのは、
平井さんの文章に私自身が学んだからです。
子育てのことを専門家として書くのではなく、
子育て真っ最中のお母さんたちにわかるように
掘り下げてわかりやすく書いてあるからです。
読んだ人がわかるように、文章を書くことの大切さを
私はこの方の本で学びました。
子育てにとって大切なことは、日常生活の中で子どもたちの視線で
向き合って対応していくことだと思うんです。
その日常の中でどのように向き合っていけばよいのか、を
平井さんは優しい言葉で語ってくれていました。
その優しさは、平井さん自身の持っているものなのだと思います。
そのような想いで書かれた本だからこそ、
子育てでいろんな思いをしているお母さんたちには
必要な本だと思います。





私の読書歴 その40 ファミリー・シークレット―傷ついた魂のための家族学


 たとえば結婚生活の中でトラブルが長く続く時、
ふたりは無意識のうちにそのことに同意している。
それぞれの無意識の同意は、必ずひとつの結果をもたらす。
無意識のレベルで両人を心地よく保とうとするのである。
「私は逃げる役、あなたは追いかける役」
「近づきすぎた時には、わたしは戦うわよ」
「僕が命令されるほう、きみが命令するほう」
「ぼくが壁を作るから、きみがそれを壊す」というものなど、
典型的な無意識のレベルでの両者の契約だ。
 夫婦はまた、ある特定の部分に敏感になることを学び、
無意識のうちに、そうした危ない場所から
注意をそらすことに同意する。
その同意ができてはじめて、ふたりはお互いに見捨てることもなく
見捨てられることもなくうまくうまくやっていけるだろうと
安心するのである。両者が避けるべきものについて同意した時、
彼らは秘密を分かち合い、錯覚を共有したのである。

      〜ファミリー・シークレット―傷ついた魂のための家族学〜

 

この本は2階の弟の部屋においたままになっていました。
今から、8年ほど前でしょうか。
まだ引きこもりをしている弟に「読んでみたら」
と手渡した本のうちのひとつです。
ふとこの本を思い出し、取って来て偶然開いたところに
この文章が書かれてありました。おもしろいですね。

この偶然こそが、無意識が引き寄せているものなのでしょうね。
イエスの信仰が山をも動かすという言葉は、
実はこの無意識にまで働きかけるその思いが、
現実のみならず、物質をもを動かすということを
意味しているのだと思います。
ファミリーシークレットとはまさに家族と
いうつながりの中にひそんでいる無意識が、
親から子へと影響を与えるということになるんですね。
なぜならば、当の本人が無意識のうちに、
ドラマを演じてしまうからです。
親を喜ばせたいが為に、子どもは親の喜ぶこと立場を演じる。
逆に親に注目してもらいたいために、わざと
こまらせるようなことをする・・・・そういった行為は、
当人の意識のないところから生じていることが多いのです。

今だから、もう一歩深いところでこの秘密を
読み解くことができます。
その本を読んだときには、自分の家族の中にひそむ、
シークレットを思い浮かべながら、読んだものです。
私が幼い頃より、ごく普通の家庭でありながら、
そこに何かを感じていたものがあったのです。
言葉にはできない、思い・・・
それが親不孝な私を導き出し、
弟が引きこもる要因ともなったともいえるような・・・

けれども、今ここで私が書きたいのは、
その無意識を意識できるようになったとき、
人は自由に生きることができるようになるということなんです。
自分自身を制限するものから、自由になるということ。
そのことの意味をもう、よく考えていきたいと思うのです。





私の読書歴 その41 勇気づけの子育て入門


私が、おすすめしていみたい子育て本の一冊に
次のような本があります。
勇気づけの子育て入門(原作:吉村みちこ 一光社)
この本は、漫画を取り入れてアドラー心理学を背景にした、
子育てのワンポイントが書かれています。
私が感じた概要としては、
子どもは受け入れられたい、尊重されたいと思っていて
そうでないときに、問題行動をとっている場合が多い、
という観点から、〜しなさい、とか〜してはいけませんよ、
という躾をするのではなく、
どうしたらできるようになるかを支援するという感じですね。

たとえで言えば、今うちの子たちは、
自分たちで寝起きしてくれるようになりました。
昨年までは、「早く寝なさい」と言いにいっていました。
だからっていやいや寝るだけで、
自分で眠ってくれていたわけではないのです。
最初に早く起きられるようになったきっかけは、
この本にも載っていましたが、
目覚まし時計を渡して、「自分で起きるようにしてね」と言うのです。

長女は、朝練の部活があるために朝早く出るため、
最初は6時過ぎに起こしていました。
でもあるときから、それよりももっと早くに起こして、というので
その通りにしたところ、必然的に夜寝るのが早くなり、
自分たちで布団に入るようになりました。
なんだ、そういうことだったのか・・・
早起きができるようになれば、早寝もセットでついてきてたんだ、と
親はとっても楽になりました。
そして二人で一個だった目覚ましを次女にも
自分専用に与えると、それで次女も自分で起きてくるようになりました。
この本言うには、たとえ寝坊したとしてもこまるのは自分であるという
体験をすることで、自分で起きれるようになるというのです。

ただし、それがあてはまらないケースもあるかもしれませんね。
ちなみに私の弟の場合、母がどれだけ起こして起きない上に、
ほおっておいたら平気で遅刻して学校へ行ったというのです。
そんな風だから、大学を2年間留年したということらしいです。
大切なのは、本人の自覚でしょうか。
今は、携帯の目覚ましで自分で起きて、遅刻しないで会社に通ってます





私の読書歴 その42 子どものやる気を引き出し学力をつける法


実は、この本の題名を思い出したくて、古書店をたずねて
見つけたのが前回紹介した『勇気付けの子育て入門』です。
『子どものやる気を引き出し学力をつける法』
いう本は生協のカタログで見てそこに注文して購入しました。
〜自立のための親子「共育」プログラム〜というのが副題です。
この本もアドラー心理学に基づいているものです。

問題の子どもはいない、問題の親がいるだけだ、と
著者すずきダイイチは記しています。
「子どものために」と信じて行っている過保護、過干渉の子育てが
子どものやる気をそこねているだけで、やる気を引き出せば
子どもは甦るというのです。

さて、この本では、著書が行っている
マイセルフ・ホームスクーリング紹介されています。
これはプリント教材を使った通信教育ですね。
実は、そのパンフレットを取り寄せてみたんですよ。
その中で関心を持ったのは、母親が自分の子どもとの
会話をできるだけありのままに記述するということを
親に指導していることでした。
(本が手元にあるわけではないので記憶がたよりです)
その会話を再現することで、
その言葉が、子どものやる気をひきだす言葉か、
逆に喪失させるような言葉なのかを自分で、
見直すことをすすめているわけです。
子どもたちのやる気を引き出すのは、
ふだんの生活の中で接している母親の関わり方いかんだということを認識し、
自分が口にしている言葉を客観的に見るということが大切なんですね。

私がこういう風に言ったら、相手はこう反応したから、
私が言った言葉は、感情的過ぎたかなとか
あの言葉はちょっとまずかったかなといったように
振り返るということでもよいのかもしれませんね。
自分を客観的に見るということができるか否かということ自体が
本当は重要なことなのだと思います。




私の読書歴 その43 〜しなさいと言わない教育


私の教育の根っこになっています。
平井雷太さんとの出会いは、シュタイナー教育がきっかけで
知り合った方をとおしてのことでした。
シュタイナー教育は、知識重視ではなく
魂を育てるという教育だと思っていたのに、
そのシュタイナーの読書会を主催される方が、
プリント塾を始めたと新聞でみてびっくり。
それはどんな塾なのだろうと見に行ったのがきっかけです。

石川に来てからは、接する機会がなくなりましたけど、
以前に引きこもりをしていた弟をつれて、
平井さんの主催するセルフラーニング研究所を訪ねたことがあります。
算数プリントが主体でしたから、
数学を専攻する弟も興味をしめしていたのがとても印象に残っています。
平井さんからはとても多くのことを学ばせてもらいました。
私が語ることの多くは、平井さんの語ることに通じていると
言ってもよいかもしれません。
石川にはまだ、平井雷太さんの塾がひとつもありません。
その第1号になるのが私の夢のひとつでもあります。
弟にそのプリント塾の講師をまかせて、
私は母親たちと子育てについてのあれこれ話をする・・・
そしてその手元には、作りかけのパッチワークとカントリードール。
そのときには、すぐ隣町に住んでいる方が世話役をしている、
引きこもりの親の会のネットワークとも
関係が蜜になっているでしょうね。





私の読書歴 その44 考現学

文章を書くのが好きなのは、子どもの時からです。
人と話すのが苦手だったので、
友達と交換日記を好んでしていたくらいです。
子どもながらに、自分の頭の中の
言語をつかさどる回路がへんなんじゃないかと
思っていましたね。
ですから、教室で発言しているうちに自分が
何を言おうとしているのかわからなくなってしまうんですよ。
もっとも今でも頭で思っている言葉とは
違うものを口にすることはしょっちゅうですけどね。
でも、書き言葉にするときには、
ゆっくりと考えることができますから・・・

日記を書いていた頃は、
落ち込んでばかりいた自分自身を
励ますのが主だったかもしれません。
「明日はまだ失敗のない日」
だから頑張ろう、みたいな・・・
それが気づきを書くことを覚えたのは、
平井雷太さんと出会って
考現学を書くネットワークに参加するようになったのが
きっかけでしたね。
まだ、今ほどにパソコンが普及されていなかった頃で
Faxのやりとりがメインでした。
その頃、子育てサークルのネットワークでも
会報を通して情報交換や体験談を書いたり読んだり
するようなことが流行っていましたから、
逆に書き言葉によるトラブル、弊害というものも
あれこれ体験するようになりました。
書き言葉は相手の反応を見ないまま、書き綴るので
知らぬ間に読み手を傷つけたりすることもあるんですね。

パソコンが徐々に浸透するようになり、
今は、ネットで公開する文章が、
人々に多くのものを与えてくれるようになりましたね。
やはり書き手のマナーや、自己責任といった
ルール付けは大切だと思いますけどね。

考現学は今和次郎さんが用いたのが、
発祥だということです。





私の読書歴 その45 異星の客 (R・A・ハインライン著)


この異星の客とは、火星で育てられた地球人を
意味しています。
彼は、火星にてただ一人取り残されて、
子ども時代から過ごすこととなりました。
彼を育てたのは、火星に住む長老たちです。
私の覚えている印象では、火星人である長老たちは、
日常生活を営むことよりも冥想にて時間を費やすような
人たちであったみたいです。

そして私が興味を持ったのも実はこの部分です。
冥想をすることを常とする人々、
しかもそれは地球という星ではなく
まったく異なる星に育つということ・・・
それが何を意味していたと思いますか?
そうです。一言で言えば、主人公は星の王子様のような
タイプに育ちました。
要するに“地球”という思考の枠に染まっていないんです。

さて、みなさんは地球人という思考を考えたことがありますか?
自分よりも集団を重んじるような日本人の特性、
おおらかで個人主義なアメリカ人の特性、
質素堅実なドイツ人など、その国の人にはその国の
パーソナリティを備えているように
地球の人々は地球というある種の癖をもった思考に染まっている
人が多いのですね。
その思考について深く知りたければ、
『神との対話』(ニール・ドナルド ウォルシュ著) をオススメします。
その本には、国というもの枠を越えた地球レベルでの
思考が語られていますから・・・

この異星で育った主人公は、公証人なる人々を従えて
地球の人々に影響を与え始めます。
公証人とはどういう存在かというと
これがまたおもしろいんですね。
感情を交えず、あくまでも事実だけを取り扱うということを
本分としているんですね。
また、印象に残ったのは、彼が物事を深く理解することです。
知識として知ったという段階ではなく
認識(グロク)という段階までもっていきます。

ところが、自分の感情というものを自己中心的に捉えている人々にとって
あくまでも自己中心ではなく、冷静かつ客観的に、たとえば正義というものをも
とりおこなうような人々は、目の上のたんこぶのような存在となります。

そして救世主イエスさながらの展開が、そこには生じます。
彼は、私たちには害を与える存在だから抹殺してしまえ!

そしてその結末は・・・
これは私の描いた世界です。
本に描かれた世界はもっと違うものをも
意味しているのかもしれません。
それは、皆さんが読んで感じてみてください。




私の読書歴 その46 天使と悪魔

「どうしてわざわざお祈りをするの?神が返事をするわけがないのに」
 黙想していた父は顔をあげ、あたたかい笑みを浮かべた。
「私の娘は懐疑論者なんだな。では、神が人間に話をするはずがないと
思っているのかい。おまえにわかる言葉で説明してみよう」
棚から人間の脳を取り出して、ヴィットリアの前においた。
「おまえも知っているとおり、人間は通常、脳の持つ力の
ほんの数パーセントしか使わないものだ。ところが、大きな衝撃、
極度の喜びや恐れ、深い冥想などで、精神が張り詰めた状況に
置かれると、突如としてニューロンが異常に興奮し、格段に頭が
さえた状態になる」
「それで?」ヴィットリアは言った。
「頭が冴えただけでは、神と話せることにならないわ」
「たしかに!」父は大声で言った。
「しかし、そういう状態にあるときには、一見不可能に思える問題に対して、
鮮やかな解決策が浮かぶことがある。ヨーガのグルが高次の意識と呼ぶものだ。
生物学者はこれを変性意識状態と呼ぶ。心理学者は超感覚と呼ぶ」
そこでひと息つく。「キリスト教徒はこれを称して、祈りが聞き入れられたという」
そして、満面の笑みをたたえてつづけた。
「神の啓示といっても、すでに心でわかっている事柄を、脳を通じて認知させるだけの場合もある」

『天使と悪魔』(下) ダン・ブラウン 越前敏弥訳(角川文庫)


この本を読み終えたのは数日前のことです。
天使と悪魔の中で、目に留まったのはこの部分でした。
この文章と出会うためにこの本を読んでいたのかなと思ったほどでした。
なぜなら、これほどわかりやすく高次の意識や変性意識、そして超感覚というものを
言葉で表現したものに出会ったことがなかったからです。

それともうひとつ、この本の題名のごとくの展開が、
あちらこちらにちりばめられています。
一人の人間の中に悪魔と天使が臨在しているいう
思いがけない、クライマックス・・・・
それが示唆しているものはただ一つ。
その人の“頭”で、正しいと感じられた“真実”は、
心の目を通して濾過されるべきだということではないでしょうか。

「ええっ、うっそ〜」とかわいい言葉を述べながら、
冷酷にのこぎりを扱う、ことができたのは
すでに感情が麻痺してしまっている、からなんでしょうね。
そのような事件が、連鎖的に起こっている今だからこそ、
天使と悪魔のことを心の目で捉えていく必要があるようにも思います。





私の読書歴 その47 ヘラクレス


DVDを借りてきて、ヘラクレスを見ました。
ギリシャ神話は、子どもの頃に
さらりと読んだだけなのですけど、
このように実写版で、目の前に繰り広げられると
リアルに感じられますね。
紀元をはるかにさかのぼる時代のお話なのですけど、
そこで繰り広げられる人間模様といえば、
今と少しも変わりません。
しかもその天の父、と母なる大地をそれぞれ
象徴するゼウスとヘラの神が仲たがいしていて
それが地上の人々の宗教観に大きく影響しているのも
今日と変わらないように思いましたね。

その宗教観には、現代の解釈が入っています。
それは、自分の利益のために神を利用している、と
言うことです。
本来の儀式の意図するものが、見失われていると
言ったのは永遠の命を持つ、ニンフです。
彼女はまだ本質を保っていた頃の時代を
知っていたという想定なんでしょうね。
彼女だけが、ゼウスとヘラの本質はどちらも
大事なものであると知っています。
奪うだけの愛ではなく、忍耐と柔軟な対応で
時間をかけてはぐくんでいかないとだめなのよ、と
彼女はヘラクレスに、教えます。

この映画は、ドラマのように続いていて、
私が見たのは、ヘラクレスの子ども時代に始まる、
第1章でした。続きもまた見なくちゃ。





私の読書歴 その48 ペイフォワード


とてもよい映画でした。
映画の中の言葉を借りれば、「次へまわせ」という
内容になるんですよね。
一人の少年が、そのしくみを考えました。
人のために動き、その厚意を受けた人が
3人の人に厚意を渡していくと、世界は変わる、というお話です。
実際には計算のようには、現実は動きません。
でも、少年は目の前の現実にとりくみます。
そして、勇気をもたなければ、動けないということも体験します。

私はこの映画が中学生を主人公としていることが
すばらしいと思いました。
世界は自分に何も期待していない、
でも自分が世界との関わりを持てば、
世界を変えることができる、という課題が授業の中で、
彼らに与えられます。
私が学生だった頃、三無主義という言葉が
うたわれるようになりました。
何もしない、何も見ない、関心も持たない、そんな
子どもたちが現れ始めた時代です。
でもそれは、世界がくそくらえ、にしか見えないから、
自分の中に閉じこもってしまうんですよね。

その世界に関わりを持つということは、
世界を変えるということではなく、
目の前の現実と向き合うこと、から始まるんですよね。
そして、少年は母親との信頼関係を築き始めます。
その信頼する気持ちが、少しずつ現実を動かし始めます。
さて、そこからは、皆さんが映画を見て、
自分の世界で体験してみてくださいね。





私の読書歴 その49 信じる愛


現実を動かすポイントは、実はここにあります。
信じるということ。

偶然にもペイ フォアードとヘラクレスに
共通しているものでもありました。
ヘラクレスは、スサノオの尊のように
ヘラの国から追い出されてしまうんです。
そのヘラクレスを最後まで愛して、信じていたのが
彼の父親です。
「おまえの父はゼウスなんだよ」
「おまえには英雄の器がある」と
ヘラクレスの中の神性の部分を信じ続けました。
その父の愛ゆえに、彼は英雄になるための
訓練を始めます。

逆にペイ フォアードの場合は、母親がこういいます。
「お前が信じてくれたら、私は変われると思う」と。
アルコール中毒になるほどに、
お酒に逃げることしかできなかった母が、
子どもからの厚意を受けとるために行動を始めました。
はじめは、「お酒はやめた」と
トレバーには言いながらも、隠れてこっそりと
飲んでいたんですよね。
そのことをトレバーは知っていました。
母は、その弱い自分を認め、子どもの前にさらけ出しました。
その時から、母はトレバーと向き合うことが
できるようになりました。
そして、その母は、自分の生みのは母に
厚意を渡します。
やはりアルコール中毒で自分を傷つけることしかしなかった
母親を“許す”という行動です。

現実とは、そのような想念がもとに作られてゆきます。
ですから、信じることで、
現実を変えていくことができるんですよね。





私の読書歴 その50 マザー・テレサ 愛と祈りの言葉


レバレッジ人脈術の本を買いに行ったときに
目に留まったのがこの本です。
実は、私はマザー・テレサの本を
読んだことがありませんでした。
けれども、マザー・テレサという方が
どういう方であるのかは、
映像や文字で飛び込んできたことから
感じておりました。

月末だけ派遣の仕事をしていたので
昼休みにその本を読んでいましたが、
そのうちに目頭が熱くなってしまい、
読み続けることができなくなりました。
(一人でいるならいいですけどね)

本当にレバレッジしたいと思うのは、
マザー・テレサのような生き方ですね。
そう思ってこの本を買いました。

彼女はお金の心配をしませんでした。
ニューヨークに修道院を開いたときも
手当ていう形でのお金の提供を断わりました。
神様がすべて用意してくださるということを
知っていたからです。

ここに最高の引き寄せの真実があるなと
私は思いました。
なにもしなければ、引き寄せることはできません。

絶対的な信頼を寄せていることと

献身という行為を日々懸命に行っていること


ビジネスが単なる貨幣を集めるだけのものであるならば、
それはとてもむなしい行為になるような気がします。
けれども、ビジネスを通して
自分自身が成長すること、
それに周りの人々にもプラスになるものを与えられることが
できたならばそれはすばらしいことだと思います。

私はそんなことを感じています。