私の読書歴 その1 本とつきあう生活


小さな頃に親が本を買ってくれるなんて
ことはなかった。
たいていは、誰かからのもらいものの本が
本棚に並んでた。
でも、その絵本を読むのが好きだった。
小学生の頃は、夏に親がアイスキャンディを
買ってくれると
本を取り出して読みながら、アイスを食べた。
その頃気に入っていたのが、
『小鹿のバンビ』『小公女』『アルプスの少女ハイジ』
特に小公女セーラのお話は、
読むたびに泣いてしまった・・・

それが影響して、最初の頃よみあさったのは
少女文学という分野の本だった。
理由は、読みやすいから。
そうそう、あと江戸川乱歩シリーズも好きだったな。
私が本に親しんだのは、親が本好きだったのが
影響しているのだと思う。
父も母も、文庫本を片手にして、
就寝するのが常だった。
父の部屋には、ところせましと本棚が並んでた。

私が図書館に子どもたちをつれて、
本をたくさん借りていた頃は、
子どもたちも、競うように本を借りていた。
でも、その頃、子どもたちが読んでいたのは
まだ絵本の時代。
私が次第に本を読まなくなり、
子どもたちも学校の図書館からもあまり
本を借りなくなってしまった。
先週末に、本当に久しぶりに
書店で文庫本を購入した。
本とつきあう生活を取り戻してみようと思う。





私の読書歴 その2 子どもたちの中に育つもの


小公女、小公子、家なき子、家なき少女、
フランダースの犬、少女ポリアンナ。
十五少年漂流記、ロビンソン漂流記、
若草物語、足ながおじさん。
赤毛のアンetc。
数え上げればきりがないけれども、
特に、私は十五少年漂流記のような
冒険物に興味を持った。
無人島に漂流してしまい、
自分たちで自給自足の生活を築き上げる、という
ストーリーを自分の中で、よく空想した。
小屋の間取りまでノートにしたためたのを覚えている。
そのうちに、私は自分の空想を
少女漫画や小説に書くようになったのだけど、
その前衛となった空想の時代。
子どもの足で徒歩30分もかかる小学校の登校中も、
友達と空想ごっこをしながら、歩いていた。
アテンションプリーズのドラマが
流行って、ドラマを見せてもらえない私も
友だちとスチュワーデスになりきっていたのを
今も覚えている。その空想の世界は、
今の子どもたちが、ゲームで経験する仮想現実よりも
もっと、新鮮な世界ではないだろうか。
そんな子ども時代をすごした私だったから、
大人になってから、あるときテレビ画面に映る、
北斗の拳のアニメを見て、見続けていることが
できなかった。
このようなアニメを見て、
子どもたちの中にいったい何が育つだろうか・・・
そんな風に感じたのを覚えている。





私の読書歴 その3 “子どもの目”は見て学んでいる


夢見る夢子ちゃんの子ども時代にありながら、
その反面、私はしたたかな子ども時代を過ごしていた。
学校へは集団登校で通ったのだけど、
今も昔も変わりなく、その集団をしきる、
6年の女の子がいた。
いわゆる、いじめっ子という存在だった。
まだ小学生になりたてなのに、
私は、なぜかそのいじめの標的が、ある期間を経て
うつっているのを見抜いていた。
だから、その標的が、自分に向けられたときも、
これはしばしの辛抱だから、と耐えていた。
“子どもの目”は、見て学んでいる・・・
私の中に小学生の時の言葉が、ずーっと残っている。
たとえば、妹と幼稚園の日曜学校に通いながら、
神については、何も学べなかったのだけど、
その幼稚園に飾られた看板の言葉は、
心に刻み込まれている。
「重荷を背負うている人よ、ここに来なさい。
私が休ませてあげよう。」
それから、祖父がお土産でくれたタテに書かれた
徳川家康の家訓・・・
“人の一生は重荷を負って遠き道を行くがごとし”
という言葉もまた、私自身の中で
おりにふれて、思いおこされていた。
書を読むということは、本だけに留まらない。
言葉が人を育てていくということを
いつの間にか私は知っていた。





私の読書歴 その4 私に一番影響を与えた言葉


図書館はわくわくする場所だった。
本の背表紙を眺めているだけで、
楽しい気分になれたものだった。
そして、子どもの頃、どうしても気になる本があった。
ぶあつい聖書の本である。
何度か手にとって、中身を開いてみた。
でもその頃、それを借りて読むということは
なかった。
最初に、イエスの系図がずーっと書かれているのを
見ただけで、すぐに閉じてしまったように思う。

その後、思い出したかのように家にあった新約聖書を
手にとって少しずつ読むようになった。
中学に入った頃だと思う。
わからないことは、飛ばして、
イエスの言葉を拾い読みするようになった。
そして、私の中ではこのような
思考が展開されていた。
神がいるのかどうかは、わからない。
でもこのイエスという人の考え方には、
心が惹かれるものがある・・・
その頃に今のような精神世界という分野の本は
なかったから、
人を愛するということについて
ここまでもこまやかに表現されたものはないと、
私は感じていた。
私に一番影響を言葉。
それが聖書に記述されたイエスの言葉だった。





私の読書歴 その5 感性の扉



もちろん、聖書だけではない。
その中学の頃、私は言葉に興味を持っていた。
それは、ある本との出会いがきっかけであった。
『僕は12歳』という岡真史の自殺の手記。
その本と出会ったとき、
私よりも一つしか違わないその少年の記した、
詩の感性に驚いた。

その本との出会いは、
私の中の自我との出会いでもあったのだと思う。
それから、私は自分の中に感性の扉を
手探りで切り開いていった。

 ビートルズもむなしい
 ローリングストーンズもはかない

わずか12歳の少年にそう感じさせる、
その心には何があったのだろう。

言葉に興味を持ち始めると、
いろんな言葉が目に留まるようになった。
私はそれをノートに書き出すようになった。
そのノートが今手元にないのが残念。
でも私の記憶にはイメージとして残っている。

たとえば、落合恵子の『スプーン一杯の幸せ』
彼女は、私生児に生まれていながら、
そのことを不幸だとは少しも感じていなかった。
不幸だと決めているのは世間の思考。
私はその頃、“大人になりたくない”と思っていたけれども、
彼女のように柔軟な心を持ったまま、
大人になれるのあれば、彼女のような大人になりたい、
と思った。
それは、今も変わっていない。




私の読書歴 君は愛する人のために死ねるか


中学の頃、さらば宇宙戦艦ヤマトを映画館で見た。
その時私は、“愛する人のために君は死ねるか”
というサブタイトルのように、
愛する人のために死ねるだろうか、と
真剣に考えた。
その時の私は『死ねない』と思った。
何故なら、その頃の私は“死”を一番の恐れたからである。

それと時を同じくして、
図書館では、好きな男の子の名前を
図書カードで発見して、その本を借りて読んでみた。
ドストエフスキーの『罪と罰』である。
純文学というものを読まなかった私には、
かなり難解であまり理解できなかったように思う。
しかも根をつめてその本を読んだためか、
その直後にヘルぺスが胸腺のあたりにできてしまった、
という思い出の書物でもある。
ただ、その本を理解することはむずかしかったけれども
その本のなかに出てきた女性、ソーニャが
忘れられなくなってしまった。

最近、その彼女と同じ心を持った女性の出てくる映画を見た。
『赤目四十八瀧心中未遂』である。
その映画の女性は、現実には死ななかった。
けれども、愛する兄のために、
彼女は、博多の町に売られて行く人生を選択した。
そして、彼女の心の一部は、そこにほおむられた。

蓮の花の美しさは、
完璧な、美しい人生を生きた象徴ではなく、
むしろ、彼女たちのように、
どろどろとした、汚れた現実の中に身をおきながら、
燐として透明なものを失わなかった、
その美しさを示しているのだと、
私は、後になって思うようになった。





私の読書歴 その7 赤毛のアン


最初に教科書で読んだときには、
自分とまったくタイプの違うアンにさほど
興味を持たなかった・・・
けれども父も母もその本が好きで、
新潮社の文庫本でアンのシリーズが全巻家にあった。
何気なく、手にとって読み始めたら、
すっかりアンのとりこになってしまった。

私の青春時代はアンと共に大きくなったと言っても
過言ではない。
今、こうしてカントリーの世界にはまりこんでいるのも、
赤毛のアンの世界にずーっと入り込んでいたから・・・
彼女に負けないくらい、ドジな私だったから、
彼女の「明日は、まだ失敗のない日」という台詞に
どれだけ助けられたかしれない。

でも一番の思い出は、赤毛のアンがきっかけで
中学時代にできた友達である。
彼女も私同様に休み時間には本を読んでいるような
おとなしい子だった。
しかも勉強ができることが災いして、
クラスの女の子たちからは、敬遠されていた。
その彼女と親しくなったのは、私もまた、
仲間意識ばかりが強くて、他のグループの
悪口を言っているような交友関係についていけなかったから。
アンとダイアナのような“腹心の友”の関係が
二人の間にはできあがった。

その数ヵ月後に、私は岡山から石川に転校・・・
その後の中学時代は、もっと辛い日々だった。
小学1年で転校した弟が、高校に入ってもなお
「転校してきた子」と言われるような閉鎖的な
田舎の町に引っ越したのだから、
友達らしい友達ができなかった。
その私が、不登校もせずにその中学に通えたのは、
その腹心の友の手紙だった。
彼女の存在が、心の支えになっていたのだ。
そのやりとりは、便箋に10枚を越えることもあった。
赤毛のアンにぞっこんな彼女であったから、
二人の話はつきることがなかった。

大人になって再会したときに、彼女が、言った。
よくぼーっとした目をしていたよ、って。
赤毛のアンと同様に私もまた
空想の世界を漂ってばかりいたのだ。





私の読書歴 その8 世界が広がる瞬間



あるとき自閉症児の発達の記録の本を読みました。
残念ながら、その本がいまは手元にないので
紹介することができません。
その本を読んで、発達障害児とじっくりと関わることで、
普通なら見逃してしまうような子どもの発達段階を
スローな時間の中で見ていくことができるということを
知りました。
実は、モモで有名なミヒャエル・エンデを生み出した、
シュタイナー教育のシュタイナーも障害児と関わって
教育を学んだ時期もあったそうです。

さて、その本を思い出したのは、
私が赤毛のアンを繰り返し、繰り返し読んでいたことを
考えていたときでした。
子育て講座であるとき、小さな子どもが繰り返し同じ絵本を
読む体験はとても大事なことなのだ、
と聞かされたことがあったんです。
それは、家のすぐ近くの公園に行って、
何度も滑り台をすべる体験と同じようなことなのだ、と。
その滑り台の体験が、その本を思い起こさせました。
自閉症の子どもは、視野が狭いのだそうです。
外で遊ぶとき、ある子の視線はいつも自分の目の位置より
下だったといいます。
ところが、あるときその子どもの目線が、
滑り台の上を眺めたんだそうです。
その時から、その子の世界が広がり、と
その子の行動も広がった、と観察者は記していました。

体験する、ということが大事なのは、
実はその世界が広がる瞬間と
出会うためのものでもあるように思います。
そして、私は本を読むことで
そのような体験を積んできたのだと思います。





私の読書歴 その9 可愛いエミリー


あまりに赤毛のアンが有名になり過ぎてしまって、
モンゴメリは、読者の期待に沿う作品を書くために
アンのシリーズはどんどん追加せざるをえなかったようです。
若草物語を描いた、オルコットと同様に
売れっ子として自由に作品を作れないストレスを
モンゴメリも日記に書き記していました。
でも、本当はエミリーこそが、
作者モンゴメリの分身なのではないかと思います。
赤毛のアンも書くことが好きでしたけど、
それ以上にエミリーは、書くことの好きな少女でした。
しかもアンとは対照的に、内向的で
友達も少ない、おとなしい少女でした。
私は、アンに似ていると自称しているけれども、
その内面においてはエミリーに共感できるところが
たくさんありました。

さて、エミリーもおおぎょうな言葉を使うのが好きでした。
詩で言うならば、ヴェルレーヌといったところです。
彼女は、先生に指導してもらっていたのですけど、
ある時、本当のことだけを書きなさい、といわれ、
今度は自分の回りにいる人たちの写実をはじめます。
実は彼女には千里眼の素質があるので、
見えないはずの相手の心を読み取って書いてしまいます。
モンゴメリ自身がそういう見えない世界に対して
興味を持っていたようです。
モンゴメリは、教員生活を送った後、
牧師の妻となるのですけど、
敬虔なクリスチャンには、許されなかったであろう、
人智学の勉強をひそかにしていたようです。

ちなみに、前回名前を出した、
シュタイナーは神智学を学んでいたそうです。
二人とも今からおよそ100年前に生きた人たちですけれども
二人の書物から学べる教育観は、現代にも十分通じます。
と書くのは、私はモンゴメリの描く教育の世界に
とても興味を持ったからです。
彼女の体験に基づいて、アンの教師生活も描かれていますが、
エミリーの通った学校の様子も
とてもおもしろく書かれています。
歴史の勉強といえば、その時代の役柄を
子どもたちが演ずるのだそうです。
クレオパトラとなった子は、その鼻の高さが忘れられないし、
マリー・アントワネット王妃を演じた子は、
ギロチンにかかった役を演じたがゆえに、
フランス革命の年が忘れられない、というのです。

丸暗記をするのではなく、
興味を持って学べば、どんなことも身に付く、と
教えたのは、丘の上のジェーンに出てくる、
ジェーンの父親です。
このことは、いつか書くことにします。





私の読書歴 その10 精神世界

実は、私は精神世界というものを
別の観点から、伝えたいんです。


かつて、私の友達に学校の先生がいたのですけど、
彼女はあるときから、精神世界の本にはまり、
「私は覚醒した」と言うようになりました。
私は完璧だ、と言い続けるんです。
それは、本の受け売りの言葉であって、
彼女自身が体得したものではないな、と
私はすぐに見抜いてしまいました。

何故かというと、
言葉にしなくても、それは伝わるものなんです。
マザー・テレサは自分が覚醒した、とは
一言も言わなかったでしょう。
自分が完璧だ、とも言わなかったでしょう。
それは言う必要のないことなんです。
でも彼女の魂が、私たちよりもはるかに
前に進んでいるのは、彼女の生き方にふれるだけで
わかってしまいます。

言葉よりもはるかにすばらしい行動という世界で
彼女は私たちに大事なものを伝えてくれています。
そして、その行動とは、
最初は言葉をとおして知ったことをも
自分の人生において、具現化するということだと思うんです。
私は、行動する大切さを、
森有正というクリスチャンの方の書物からも、学びました。
彼は、『ぼくは12歳』のあとがきにこう記していました。
“どんなに現実が醜く汚れていたとしても、
死より無意味なものはない”
(手元に本がないので、記憶の中の言葉です)
その一言が、私の自殺したいという願望を、
とどめてくれていました。
森有正は、神を信じること、イエスを信じることよりも、
どう生きるべきかを教えてくれたのでした。





私の読書歴 その11 運命は決まっているのか・・・


“偶然は、必然。
そして、奇跡は偶然の積み重ねから生まれる。”

これは、私が感じた言葉です。
運命が決められているのではありません。
そのような運命を生み出す可能性が高い、と
いうことなのです。

物事のすべてには、原因と結果があるんです。
実は、偶然という事象にも
その法則は働いているんです。
運命が定められているように見えるのは、
運命とは、その人個人によって
築かれている流れではないからです。

たとえば、イエスのお話をしましょう。
彼は、メシアとしての使命をたずさえながら、
この世に生を受けました。
(メシアとしての使命は、決して彼だけに与えられたものでは、
ありませんでした。)
では、十字架にかかる運命は決まっていたでしょうか?
いいえ、十字架にかからない道も本当はあったのです。
イエスが、自分で、十字架にかかることを選択したのではありません。
彼は、十字架の上から、このように思っていました。
別の道はないのでしょうか、
私はこのまま、死んでしまいたくはありません。
生きて、あなたの御旨を成し遂げたいのです、と。

けれども、人々がイエスを十字架にかけるように
せまったのです。
それは、彼ら自身が、洗脳されてしまっていたからです。
イエスが生きていることで自分の地位や権力が
脅かされることを恐れた、一部の人々のよって、
その流れは作られました。
彼らは、イエスを十字架にかけることが
本当に正しいことであったかどうかも考えずに
その場にいたでしょう。
そうでなければ、どうしてイエスが十字架にかけられる必要があるのか、と
疑問に思いながら、なにもいえずにそこにいたでしょう。

ターミネーターの映画のように
違う未来を作ろうと思えば、作ることは可能だったのです。
そして、その、それまでとは違う、未来を作ることこそが、
イエスが本来目指した目的だったのです。
死後の世界が天国と化するために、彼は死んだのではありません。
この生きている世界の流れを変えたかったのです。

古代史に残された歴史の本を紐解けば、
その流れが見えてきます。
人々が科学を結集して、文明を発達させます。
けれども科学の発達とはうらはらに、その科学を扱う心は、
自己中心で、やばんな原始人時代と変わらぬものを
持ち続けるがゆえに、文明は終焉を迎えます。
その繰り返しが、地球の歴史なのです。
その心、こそが問題なのです。
その心が、すべてを作り出す原点なのです。
そして、運命さえも作り出すのです。





私の読書歴 その12 インスピレーション


“一番精妙なチャネリングは、インスピレーションである”

これも、文献は覚えていません。
でも、非常に心に残っています。
『可愛いエミリー』が時々、垣間見ていたんです。
そのインスピレーションの世界を、です。
カーテンの向こう側と彼女は称していたように
記憶しています。

SFがおもしろいのは、想像の世界が時として
アカシック・レコードに到達することがあるのでしょう。
未来を垣間見て、それをストーリーの中に
織り込んでいるのです。
そういうことは、特別なことではないのです。

さて、SFに興味を持ち始めたきっかけは、
星新一のショートショートだったかもしれません。
あのユニークな発想が、今でも印象に残っています。
それから、父の書庫にもSF小説はたくさん並んでいて、
かたっぱしから読んだものですけど、
一番のお気に入りは ロバ-ト・A.ハインラインの『異星の客』です。
これも私に大きな影響を与えた本になるのだと思います。

その主人公なる男は、火星にて育ちました。
火星の長老たちのもとで、地球とはまったく異なる教育を受けて
大人になったのです。
ですから、地球での思考の枠組みとはまったく違うものを
持っていました。
それが危険視されて、イエスと同じような結末を迎えます。
けれどもこの地球の思考と離れる、ということを
この本をとおしてイメージとして
知ったのだと思います。

歴史は、真実とは違う形で伝えられます。
常に人によって作り変えられるのです。
思考もまた、人の影響を受けて形付けられていきます。
日本的思考、アメリカ的思考、インデアンの思考、
さまざまな色合いをもった思考があるように、
精神世界的にいう、完璧だと称する、魂が、
その周りにある、思考によって、スポイルされてしまうのです。
不倫したっていいじゃない、のストーリーを見て、
その不倫をすることで、現実から逃げている人がいて、
ストーカーでもいい、相手に振り向いてほしい、と
相手の気持ちも顧みないで行動する人もいる。
それは、本当に自分で考えて、それでいいと思って、
行動しているのかしら?
それとも周りの影響を受けて、流されて行動していることかしら?
言葉から、考えるということを学ぶこともできれば、
言葉から、ただ自分にとって都合のいい情報だけを
得ることもできるのですね。




私の読書歴 その13 丘の上のジェーン


彼女の両親は、彼女の記憶がなかった頃に
離婚していました。
彼女は、母の実家のもとで生活していました。
ある夏休み、突然に彼女は、
プリンスエドワード島に住む、父のもとに
行くこととなりました。
それまで会った記憶のない、父とひと夏
生活することになるんです。

それまで、彼女は窮屈な生活をしていました。
母は優しかったけれども、祖母も伯母もいとこたちも
彼女に冷たかったのです。
彼女は聖書もきちんと読めない、と
さげすまれながら、そこにいました。
そして、父のことについても悪く言われていただけで
何も知りませんでした。
勉強に関しても劣等生というレッテルを貼られていました。

さて、プリンスエドワード島に着いて、
彼女の生活は一転します。
台所に立ったことなどなかった彼女は
父親のために食事を作るようになります。
上流階級の暮らしの中で、彼女は台所を手伝うことは
許されませんでした。
彼女は負けず嫌いの性分ゆえに
だんだんと料理の腕をあげます。
そして、父と生活する中でいろんなことを学んで行きます。

勉強する楽しさを教えたのも父親でした。
それまで苦痛でしかなかった聖書の拝読が
彼女のなかでは生き生きとした学びの時間に
変わって行きます。
彼女の中の育っていなかったものが
だんだんと育つようになります。
そうして、最後には彼女をとおして、
父と母が仲直りしていくこととなるんです。
彼女の中で、育っていったもの・・・
それは、学校の中では教えてもらえないものでしょう。
何故なら、知識ではないからです。
教育のあり方が問われるのは、
本当に大切なものは、知識ではなく、
子どもたちの中に育っていくべきものが
なんなのかを見極めていないということになるのでしょう。




私の読書歴 その14 ツキを呼ぶ魔法の言葉


今日、本が手元に届きました。
『ツキを呼ぶ魔法の言葉』です。
18日の満月の日に、出会いがありそうだ、と
予感したその日に出会った方が、
私に紹介してくれたうえに、
プレゼントしてくれたんです。

不思議ですね。読んだとたんに、
力が湧いてきました。
それは、こういうことです。
もともと、私ってついている奴なんです。
「私のために用意されてた」が合言葉となってるくらい、
ツキがあるたちなんです。
でも、ツキを待っているのではなく、
ツキを呼ぶことを教えてくれたのがこの本です。

そうなんだ、何かが起こるのを
待っているだけじゃだめなんだな。
何かを呼び寄せる、ために
より、ツキを呼ぶことが大事なんだ、と
この本で学びました♪
書店では買えませんが、
ネットでは手に入れることができます。




私の読書歴 その15 夜明け前は一番暗い



ツキを呼ぶ魔法の言葉を読んで思い出したのが、
“夜明け前は一番暗い・・・・”
この言葉は、数日前にポジティブをテーマに書きました。
これも魔法の言葉になるんでしょうね。
なぜって、夜明け前が暗いのは、
その次に夜明けが来るって言うことの前触れだと
感謝できるからです。
トラブルが重なれば重なるほど、
ああ、今度はどんな素敵なことが待っているのだろう・・・と
思えるようになるんだから、不思議です。
もっともそうできるのは、自分を客観視するだけの
余裕があるときに限りますけど。
その真っ只中にあるときには、そうはいきません。
ただ、その状況下にあっても
そこから何かを学び取る気持ちがあれば、
夜明けが近いことを感じるようになります。
ありがとう、が有難いに通じてくる、とは
そういうことでもあるんでしょうね。
困難であれば、困難であるほど
そこから学べることもまた大きいですから。

さて、その日記をここに登場させてみますね。

夜明け前は一番暗い・・・

その言葉を知ったのは、以前所属していたコミュニティです。
まだ、パソコンがここまで普及してなかった頃、
ファックスを使って文章を書き送っているところがあったんですよ。
日々の“気づき”を毎日書き続ける、をモットーにしているところで、
そこで書き続けたことがいい練習になったのだと思います。

さて、私の場合も、その夜明け前を何度か味わってきました。
離婚するときもそうでした。でも離婚後も大変でした。
母は、10年前に脳溢血で倒れて半身不随で特別擁護施設にいて、
父は糖尿病で、かなり目が悪くなってきていました。
おまけに、弟は母が倒れてまもなく、リストラされたのが縁で、
引きこもりに入っていました。それだけでも大変なところ、
父の前立腺癌が発覚して、手術が決まったのは、
実家に移り住んで、わずか半月後でした。
それでも私は、私が帰ってくるまで、
よくぞ発症しないでいてくれたものだ、と思いました。
それまで車で、8時間ほどかかる遠方に住んでいたのです。
父が入院しても世話をすることなど、できなかったでしょう。
幸い父は、早期発見であったためにその後再発はしていません。

その時私が、選んだ仕事が、請負のポスティングの仕事でした。
比較的、時間の融通がきくので、病院に通いながらでもできたのです。
弟にも「手伝ってくれるかな?」と声をかけたところ、
私の手伝い程度なら、と一緒に動いてくれるようになりました。
その後、弟も私とともにその仕事を本格的にやるようになり、
会社の社長からも認められて、営業所をまかせたい、とも
言ってもらえるようになりました。ところが、です。
重たいチラシを扱う仕事に、私の体が悲鳴をあげたのです。
もともと坐骨神経痛の気があったので、
ハードなチラシ配りの仕事のために、
右足が痺れて、車の運転がままならない状態に陥ってしまいました。

さすがの私にもこれには参りました。
だって、私が家計を支えていかないといけない立場にあったのに、
体に支障がきたしたのです。
その頃、米を買うのに、家にあった不用品や本をリサイクルショップに
持って行ったりもしましたけど、そんな家計の事情よりも、
もっと苦しいものがありましたね。
けれども、本当はそれは、次のステップに必要なできごとでも
あったのを後になって知りました。
その頃、私は彼と何度もメールでけんかをしていました。
仲直りをしては、またけんか。
書き言葉でのやりとりって、むずかしいものがあるのですよね。
本音はそこには見えないから、言葉でこちらが推測するしかないのです。
そんな二人の関係を脱することとなったのが、
その時の私が彼に発したSOSのメールでした。
あのメールがなければ、ここには来なかっただろう、
と彼は、ずーっとあとになって教えてくれました。

さて、弟は私がそのポスティングの仕事をやめてもなお、
請負でのポスティングの会社の仕事を手伝うようになりました。
今日、内勤の仕事に変わることになった、と教えてくれました。
引きこもりの間に車の免許の更新をいきそびれて、
失ってしまっていた免許も再度、取りに行くのだとも・・・
父にそのことを話すと、喜んでいる風でした。
父は、母の介護のことで手一杯だったから、
弟のことは、私に託すしかなかったのです。

夜明け前は常に暗いのです。
でも、夜はいつかは明けるのです。
それがいつ、訪れるのかは、
その人の生き方次第なのだと思います。