anneちゃん教育を語る その16


〜気づくことの大切さ〜

anne:子どもが文部科学省からの手紙を持って帰りましたよ。
   でもコピーなんですよね。
   今日は自分でいじめについてのアンケートを
   書かないといけないと
   持ち帰ってきましたけどね、
   なんかねえ、違うような気がするんだけど。

Tさん:具体的にどの様に違いますか?

anne:子どもに聞いてみると
   アンケートは○か×かを書くんだそうです。
   数の集計はされても
   どのようにその答えに対して
   動いていくのがはそこからは見えませんよね。
   「いじめをしてはいけません」と伝えましたよ、
   今学校の現場の実態はこうです、
   これだけのことがあるだけのような気がします。

これは別のSNSにて交わされたコメントです。
アンケートを書いた子どもになにが生じるでしょうか?
私は子どもとこんな話をしました。
お母さんの知っている子に、
お友だちがテレビ番組のマネをしてとっくみあいのような
ことばかりされて嫌がって、お母さんにその悩みを話した子がいたのよね。
周りはいじめだとは思ってないのよね、
どこまでがいじめかってむずかしいよね。

その後、ネットにていじめた子は出席停止にするという
措置を見ました。
さてさて、これで本当にいじめの解決につながるかな?
どこまでがいじめだと周りが判断するのでしょう?
もしかしたら、いじめっ子が知恵を働かせて、
いじめの事実をでっちあげるかもしれません。
あいつが仲間はずれにして無視をしているんだ、と。
それが単にそのように見えただけなのか、
実際のそうなのかは、当事者が本心を語らねばなりません。
とても極端な例ですけど、今のいじめはそういう次元だったりも
するんですよね。
(私はこのいじめのケースをテレビのドラマのシーンから推測しました)

実のところ大事なのは、子どもたちが自分で気づいていくということです。
いじめが周りにあるかないかという事実を見出すことではなく、
いじめをするとどんな風にいじめられた人が感じるのだろう、
いじめを受けている場面に出会った時、どのように
自分が行動していけばよいのだろう・・・・
マスコミは、いじめられた人が自殺にしたという報道しかしません。
ドラマは視聴率アップのためにいじめを壮大なドラマをつくりあげることでしょう。
それがいじめを解決するでしょうか?

大切なのは子どもたちの心に目を向けること。
子どもたち自身が、いじめについて考えて、
どうすればよいのか気づいていくような場が与えられること、
のような気がします。





anneちゃん教育を語る その17


〜いじめの考察 その1〜

私はいじめについての考察を始めました。
とおい昔、自分が小学校時代を
まず振り返りました。
私の中には、小学校の集団登校のシーンが
よみがえりました。

旗を持つ班長の役割をする6年生のお姉さんは、
私の妹の姉にあたりましたけど、
その6年生をはじめとする上級生が
下級生をいじめていたんです。
そのターゲットは、同じではなく
順番に移り変わっているのを
私は目で見て知っていました。

するととうとう、私がいじめにあう番が
やってきました。
どんないじめだったのかは覚えていません。
でも辛くて母親に話したのでしょうね。
あるとき「お母さんに言ったでしょう」と
その上級生に問い詰められました。
私はとぼけて、「知らない。妹が言ったんでしょ」と
言ったようです。
はるか昔なのであまり明確には覚えていないんです。

私が子どもの頃に受けたいじめの思い出というのは
それだけなのです。
そして、その時の体験でいじめというものは
誰にでも起こりうることで、
相手がおもしろい反応を示さなければ、
いじめの対象は変わっていくんだと
子どもながらに感じました。

私はこう思うんです。
いじめは悪い、と大人が言うことができるでしょうか?
では、あなたがた大人はそういういじめのようなことをしていませんか?
大人たちはむしろ、いじめよりももっとひどい虐待行為をしている人が
いるんじゃありませんか?
子ども達の思いを無視して自分たちの都合をおしつけてばかり
いるんじゃないですか?
私は存じません、と責任逃ればかりしていませんか?
いじめは悪いことだからしてはいけません、という形で
結論を持っていくことが可能なのかどうか。
それができるならば、世の中から犯罪そのものが
なくなっているでしょうね。
でもそうではないですよね。
では、どうしたよいのでしょう・・・・?





anneちゃん教育を語る その18


〜いじめの考察 その2〜

いろんな方からいろんなコメントをいただいています。
私の書いた文章が引き金となって
いろんな方の想いを聞かせていただけるのは
とても嬉しいです。
いくつかのブログでこのテーマのものを
アップさせてもらっています。
そして、すでにパソコンのファイルにはこの
いじめの考察というタイトルでいくつかの
文章が保存されています。
しかも、いろんな観点からものを言っておりますから、
誤解や衝突があってはならないので
ベースとして感じることを
最初に少し述べておきたいと思います。

私はいじめというものの本質を
見つめていきたいと思うのです。
今社会問題にしている学校のいじめは、
その責任の所在を追及し、
その対応策を誰にでも見える形で
行おうとしています。
懲罰というスタイルは一番わかりやすいですものね。
けれども懲罰を行えば、人は悪をしなくなりますか?
人は刑務所に入れられたら、自分の行為が
間違っていたと気づきますか?
そうではないでしょうね。
その人の心に、人の命の大切さや愛が
届いて初めて自分のした行為を改めていくように
なるのだと思います。

では、どうすればよいのでしょう?
いじめる人が悪い、
いじめられる人に問題がある、ということを問題にするのではなく、
そのような行為は、どうしたらなくすことができるか、を
見出していきたいのです。
そこで、いくつか私の体験したことを
最初に書き記した上で、
私自身が感じたことをまとめていきたいと思います。
それは、すでに皆さんも感じていることとも
通じてくるのですけど、少しずつまとめていきたいと思います。





anneちゃん教育を語る その19


〜いじめの考察 その3〜

次に思い浮かんだのは、中学生のときです。
岡山から、能登半島の小さな町に移り住むようになりました。
けれども閉鎖的な小さな町なので
私はその中学に溶け込むことができませんでした。
そのとき、私は誰からも受け入れてもらえないという
雰囲気の中で、過ごすことが多かったですね。
修学旅行は、誰の輪の中にも入ることの出来ないという
辛い思い出となりました。
でも今書こうとしているのはそのことではありません。
もしかしたら、私自身がそのような
“ひとりぽっち”を経験していたということが
プラスに働いていたのかもしれません。
それはどういうことかというといじめる側の影響を
受ける必要がなかったということなんですね。

実はその時のクラスに一人、いじめを受けている子がいました。
その子はたいそうおとなしくて、地味な子でした。
いじめというよりも仲間はずれ、という感じだったかもしれません。
あるとき、私は一人で下校しておりました。
その時、雨が降っていました。
目の前を、上述した少女が歩いていたんですね。
北陸ですから、「お弁当を忘れても傘忘れるな」というくらい
天気が悪いことが多かったのですけど
彼女は傘を持っていませんでした。
私の心の中では、一瞬葛藤がありました。
彼女に傘を差し出そうかどうしようか、という心の葛藤です。

そして、その葛藤を超えて、私は彼女に傘を差し出しました。
いじめをするかしないか、を生み出しているのは
実は心なんですね。
いじめを見てみぬふりをしたことのある人たちは、
その心の中をもう一度思い返してみてください。
そうすれば、見て見ぬふりをすることはいけない、という前に
自分の心に見つめるべきものがあるのがわかるでしょう。
ああ、あのとき私は何もしてあげられなかった、という後悔の思いを
そこに見出すでしょうか。
それとも、私には関係ないという無関心の思いしかなかったでしょうか。
その心を見ずして、いじめを考えることはできないでしょう。

そして、もし一度でも
その葛藤を超える経験をすることができたならば、
いじめというものは、越えることのできる体験なんだと
知ることができるでしょう。
その時の葛藤こそ、いじめの集団意識の影響をうけないという
自分を創る体験だったと今はわかるからです。





anneちゃん教育を語る その20


〜いじめの考察 その4〜

あの頃、ひとりぽっちの私を支えてくれたのは、
岡山の同級生だった友だちでした。
その友だちとは赤毛のアンとダイアナのごとき
ぶ厚い手紙のやりとりをかわしていました。
その彼女が、あるとき私の友だちの死を伝えてくれました。
私にとっては初めての友だちの死でした。
高校に入ったS君が、バイクの事故で死んだというのです。

彼は、私が小学5年の時に転校した先のクラスの同級生でした。
ところが中学2年に再び同じクラスになったとき、
そのイメージがあまりにも変わっているのに驚きました。
彼の頬には傷がありました。
以前にはなかった傷です。
そして、あまり柄の良くない上級生が彼に近づいていました。
そのことゆえに、彼はクラスの中では浮いていました。
恐れられていたという感じだったのかもしれません。

けれども、席替えで私のすぐ近くの席に彼がきたとき
私は彼を恐れませんでした。
表面は変わったように見えても内面は、
小学校の頃、一緒にふざけあった頃のままの彼だと
私は感ずることができたからです。
ですから、私がそのクラスから転校することが決まり、
友だちの家にて私のお別れ会が催されるときに
彼は私の友だちとして呼ばれていました。
その時のお別れ会の様子は、私の親友が
カセットテープにみんなの声を入れてくれています。
彼は、もうこの世にはいませんが、
あのときの彼の声もその中に今も残っているんです。
私は彼の死を知ったとき、何度もそのテープをかけて
彼の声を聞いたのを覚えています。

彼は、いじめる側のグループに所属していたかもしれません。
彼は、悪いですか?
本当はそういう問題ではないのだと思います。
彼の心には、実は彼の頬の傷と同じように
傷があったのだと今の私は感ずることができます。
ですから、あの頃の彼は、
私にとっては怖い存在ではなくて、寂しそうな顔をした
存在だったのです。





anneちゃん教育を語る その21


〜いじめの考察 その5〜

あの頃、まもなくしてもう一人、
私は同級生の死を知りました。
このことを誰に聞いたかも覚えていません。
高校の頃でしょうね。

Mさんも石川での中学の同級生でした。
彼女もおとなしい子で、クラスでは目立たない子でした。
私は彼女の自殺の理由を知りません。
そこにいじめがあったかどうかも知りません。
なぜなら、彼女は違う高校に行っていたからです。

けれども彼女の死を忘れられないのは、
彼女は自宅の風呂場にて、灯油をかぶって
焼身自殺をしたと聞いたからです。
あの頃の私は自殺の手記を読み漁っていましたから、
彼女の死は、衝撃でした。
もえさかる炎の中にいる自分を想像してみてください。
そのような死を選ぶにいたるとは
どのような心模様が彼女の中にあったことでしょう・・・・

私は彼女の死を知ったとき、
彼女と幼い頃から友だちだったYさんのことを思い浮かべました。
MさんとYさんは性格がまるで正反対でした。
大柄で性格も明るいYさんは誰からもしたわれ、
高校ではバレー部のキャプテンをまかされるような存在でした。
そのYさんは私と同じ高校に行っていました。
Yさんがどんなに悲しんだことでしょう・・・と
私はそのことを思いました。

死を選ばないでください。
死を選べば、すべてが終りです。
あなたのことを思っている友達がいるならば、
なおのこと、死を選んだりしないでください。
いじめは簡単に解決できるような問題ではないかもしれません。
でも死もまたそれを解決する答えでは、
決してないことを覚えておいて欲しいのです。




anneちゃん教育を語る その22


〜いじめの考察 その6〜

そして最後の体験となるのが、
私の娘のことです。
長女がまだ小学校に入って間もない頃、
やはり集団登校をする学校に通っていました。

同じ町内に長女には同級生が一人もいませんでした。
ですから、仲のよい友だちもいないまま
学校へは通っていました。
そして近所のひとつ上の子と一緒に遊ぶことが
多かったのですが、
その子がとてもやんちゃな子でした。
どのくらいやんちゃな子かといえば、話すと長くなるので
ここではやめにします。

その子が、また同じ学年の子を従えて、
長女を仲間はずれにはじめたんですね。
どんな風に・・・とは今はもう説明できません。
でも傍目でみて分かる雰囲気でした。
私はいつ、長女が学校へ行くのが嫌だと
言い出すのではないかとそのことを心配していたのですけど
何事もないような顔をして小学校へ通っていました。
その頃から、根性のある子だったんですね。

さて、そのいじめはどうなったと思いますか?
実は、そのやんちゃな子にひっぱられていた同級生の姉が
そのいじめをみかねて、自分の母親に報告してくれたのです。
そのために流れが変わりました。
どう変わったかというともともとやんちゃなその子は、
誰からも嫌がられるような子だったので
周りの子も親から注意されたこともあって
その子の誘いにのることをしなくなったみたいなんです。
子どもから報告を受けたという母親は、わざわざうちに来て
わが子へのいじめを謝ってくれると同時に
それらのことを話して教えてくれました。

ここにヒントがあります。
それはどういうことかというと
いじめの流れを変えることができる、ということです。
“いじめをみかねた”一人の子の想いが、
私の娘のいじめを解決へと導いてくれました。

もうひとつ記しておきたことがあります。
そのやんちゃな子は、保育園時代から我が家にも出入りしており、
私の手を焼いていた子でもありました。
その一つの例は以前、ブログにも書いたことがあるのですけど
家に来るときに挨拶がまったくないまま、
上がりこんでくるというようなことでした。
その親とのつきあいがさしてなかったので
私はその子に挨拶をすることを教えなければなりませんでした。
いじめはその子だけの問題ではないんですね。
その子を育てている背景にも、なにかしら
要因があることをも添えておきたいと思います。



anneちゃん教育を語る その23


〜いじめの背景〜

私が語ったいじめは、
言ってみればいじめのモチーフのひとつにすぎないんだと思います。
かつてはそうだったけど
今はもっと深刻なんだよ、という人の声が聞こえてきそうです。
なぜなら、助けようと手を差し伸べたら、
今度は自分に火の子がふりかかってくる・・・
しかもそのいじめは、以前よりも陰湿なものだったりする・・・

昔もいじめはありました。
けれども昔よりも今のいじめは違ってきているように思います。
何が違うのでしょうか?

子どもたちの世界は、大人の社会の縮図です。
子どもたちのいじめが深刻化しているとすれば、
それはその子どもたちの手本となる大人の社会のそのものの
影響を受けているというのが本当の原因です。

ドメスティックバイオレンスの原点がここにあります。
強いものが弱いものをいじめて、
ストレスを発散させることで自己を満足させているという
パターンです。
会社で、上司にいびられストレスをためこんだ夫が、妻にその
ストレス解消の刃を向ける。
妻はそのストレスをわが子に向ける。
そして、わが子は、自分よりも弱い立場のものにたいして
ストレスを発散させる・・・
これはあくまでもたとえですけれども
そのような連鎖がそこには存在していることもあるのです。

いじめが悪いというよりも
いじめたくなるような自分の心と向き合うことが大事なんですね。
そのような行為に走るよりも
もっと前向きに自分を成長させるような方向へと
エネルギーをそそぐことを
子どもたちが学んでいくことが大切なのだと思います。
そして、それは大人たち自身も、です。





anneちゃん教育を語る その24


〜解決への道筋〜

いじめが突発的なことのように扱われ、
その時の対処によりうまくおさまると
その時のことは遠い過去へと忘れ去られてしまいます。

それがいじめがなくならない原因のひとつです。
引きこもりの場合は、親自身も子どものことを
世間の目から隠そうとして、
二重の引きこもりをさせていた時期は、
誰からも注目されることがありませんでした。
それがようやく親の会を立ち上げるなどして、
引きこもりの子どもたちを抱えた親たちが
動き出し、その親の会の地道な活動が
マスコミを動かし、
支援の手を差し伸べてもらえるようになってきました。
が、それまでの間にずいぶんと時間を経ています。

ところで、そのいじめが引きこもりのひきがねと
なっているケースは多々あるんですよね。
たとえば弟のケースもそれに近いんですよね。
上司が自ら手を下すのではなく、
会社に所属しているカウンセラーに
「あなたは、この会社にあっていないんじゃないか」と
言わせているんですよ。
心をケアするはずのカウンセラーが、心に傷を負わせて
辞めさせているんですよね。
(それから弟は、7年ほど引きこもりをすることとなりました)

いままでいじめというものはどこにでも生じるものであるがゆえに、
大人たちも平気でそれを“いびり”とか“村八分”というような形で
とりおこなってきています。
動物の世界でもいじめはあります。
だからいじめはあってもよいのだ、ではなくて
人は未成熟の状態で生まれていますけど
経験を積んで成熟していかなくてはなりません。
そのことをみないで、
いじめの問題は解決への道筋は、見えてこないと思います。

さて、いじめと引きこもりについて思いを馳せていたときに
ネットに出てきたのが松谷みよこさんの絵本でした。
ここにその全文を掲載させてもらいます。


わたしの妹(松谷みよ子著)全文

この子は、わたしの妹。
向こうを向いたまま 
ふりむいてくれないのです。
妹の話、聞いて下さい。

今から7年前、
わたしたちはこの町に引っ越してきました。
トラックに乗せてもらって
ふざけたりはしゃいだり、
アイスキャンディーをなめたりしながら。
妹は小学校4年生でした。

けれど転校した学校で、
あのおそろしいいじめが始まりました。

言葉がおかしいと笑われ、
とびばこができないといじめられ、
クラスのはじさらしとののしられ、

「くさいブタ」と言われ。
ちっともきたない子じゃないのに、
妹が給食を配ると
受け取ってくれないと言うのです。

とうとうだれひとり口をきいてくれなくなりました。
一月たち、二月たち、遠足に行ったときも
妹はひとりぼっちでした。

やがて妹は学校へ行かなくなりました。
ご飯も食べず、口もきかず、
妹はだまってどこかを見つめ、
お医者さんの手もふりはらうのです。
でもその時、
妹の体につけられたあざが、
たくさんあるのがわかったのです。

妹はやせおとろえて
このままでは命がもたないと言われました。
かあさんが必死でかたく結んだくちびるにスープを流しこみ、
だきしめて、だきしめて、
いっしょにねむり、
子守歌を歌って、
ようやく妹は
命を取りとめました。

そして毎日がゆっくり流れ、
いじめた子たちは中学生になって
セーラー服で通います。
ふざけっこしながら、
かばんをふりまわしながら。
でも妹はずっと部屋にとじこもって、
本も読みません。
レコードもききません。
だまってどこかを見ているのです。
ふり向いてもくれないのです。

そしてまた年月がたち、
妹をいじめた子たちは、高校生
まどの外を通っていきます。
笑いながら、おしゃべりしながら・・・

このごろ妹は折り紙を折るようになりました。
赤いつる青いつる白いつる
つるにうずまって
でもやっぱりふりむいてはくれないのです。

かあさんは泣きながら
となりの部屋で つるを折ります。
つるを折っていると
あの子の心がわかるような気がするの・・・

ああ私の家はつるの家
わたしは野原を歩きます。
草原にすわると いつの間にか
わたしもつるを折っているのです。

ある日妹はひっそりと死にました。
つるを手のひらにすくって
花といっしょに入れました。
妹の話はこれだけです。





anneちゃん教育を語る その25


〜解決能力を育てる〜

子どもたち自身が、自らの体験の中で
いじめをしてはいけないんだよと
学び取っていかない限り、
いじめの問題は減ることはないでしょう。

本来、日常生活の中で、
これはしてもよいこと、悪いことといったものを
学んでいかないといけないのですけど
家庭においては共働きの家が多く、
親の躾も行き届かなくなり、
少子化がわざわいして大家族の中で自然と分け合ったり、
けんかしたり、そのけんかを仲裁したりという
人間関係を学べなくなるなどして
子どもたちは経験を積むことができなくなってきました。
そのうえに現実としてではなく、
テレビやゲームという仮想現実が彼らを
誤った思考、感情へと導くようになりました。

かつてスポーツ少年団やクラブを通して
一致団結したり、試合に勝った、負けたの中で
多くを学んでいっていた子どもたちも
だんだんと形が代わり、そういった分野で親が動き回ることが増えたのとは
反比例して精神的なものが育ちにくくなってきているように思います。
(ここのところは私自身がまだあまり関わったことのない世界なので
多くを語ることができません)

そのよい体験の場としては、
教育の現場で行っているよい集団作りと
いうものがとてもいいアイディアだと思いました。
そのことは、別のSNSのブログに書かれていたのですけど、
学校のクラスでこういう集団作りを指導されているんだそうです。

 例えば,誰かが,嫌な事を言っている場面があれば,友達が「やめろよ」と言える集団。
 授業中に私語をする子がいたら,「静かにしようよ」という集団。
 先生が話しているのに,別の事をやっている子に,目や態度で教えてあげる集団。

いじめというものは単独で行われるケースよりも
集団という形でそのいじめが拡大されるケースの方が深刻なように思います。
見てみぬふりをすること自体が、そのいじめを容認しているんだという、
いじめの集団意識というものなかなか気づけません。
けれども、よい意識作り意図的に行っていけば、
子どもたちもいじめの集団意識に振り回されずに
ブレーキをかけるという行為を起すことをする子も
出てくるでしょう。
なによりもよいのは、大人の力を借りずに
自分たちで問題を解決する能力を
身につけていくいい機会になるということです。





anneちゃん教育を語る その26


〜体験から学ぶ〜

だんだんと形が代わり、そういった分野で親が動き回ることが増えたのとは
反比例して精神的なものが育ちにくくなってきているように思います。

と、スポーツ少年団活動について語りましたけれども
このことについての元になることをお話したいと思います。
実は、石川に引っ越してきて数ヵ月後、
翌年の子ども会の役員を決める会合がありました。
そのとき来年6年になる子どもは、うちの子を含めて5名
いましたから、
まさか部長になるような話がくるとは思っていませんでした。
会計くらいになら・・・と思ったのですけど
会計には兄弟に自閉症の子を持つ方が立候補されたので
譲らざるをえませんでした。
一人は父子家庭なので、それも仕方ないでしょう。
ところが残りの二人は、子どもがスポ少で
活動にほとんど参加できないのと、
週末には親がその送り迎えで動かなければならないので
役員はできないというのです。
けれども私も引っ越してきたばかりで子どもの顔も
親の顔もわからないうえ、、子ども会の行事も経験がないので
運営に責任を持つことなどとうていできません。
結局もうひとつ下の学年の方に部長を頼んで
副部長をひきうけることとなりました。
あの年、6年生が子供会の活動に関わったのは、
役員を引き受けた子どもが主だったことは言うまでもありません。

小学校でも地区懇談会において、スポ少のことについて
話題に出たのは、やはりスポ少の活動を理由に
学校の廃品回収の手伝いに子どもが参加しない、とか
親もバザーの役の手伝いに出ない、などといったことでした。
果たして、子どもたちにそういった地域のボランティア活動に
参加する機会を持たせないことはよいのだろうか、
とある保護者は、発言しました。
私もそう思います。
子ども会の行事も面倒だなあと内心思いますけど、
わが子が参加しているので、役員でない年も
融通のつく限りは、手伝いに出るようにしています。
学校の役員だけは、内心書に関係するので
受けるようにしている方がいるとききましたが、
本来そういう問題ではないのだと思います。
地域との関わりを体験するということは
子どもたちにとっての社会体験の最初のステップなんですよね。
そういうものを、スポ少を理由に参加しない子どもたちは、
中学校で社会体験学習をした時にどういう反応をしめすと思いますか?
自分のやりたいことのみやってきた子ですから、
「この仕事は私がやりたいと望んだ仕事ではなかった」と
親に文句をいうようになったりするのでしょうね。
(実際に子どもがそのように言っていたと先生に報告
している親がありました)
ちなみにわが子は、「先生に必ずしも希望通りの仕事を
体験できるとは限らないと言われていたから、仕方がない」と
思いながらも楽しんで、その体験学習を過ごしました。
このような違いが、たぶん近い将来には大きな違いを
生んでいくことになるのでしょうね。





anneちゃん教育を語る その27


人は体験から多くを学び取っています。
そのひとつの例としてわが子の作品を紹介したいと思います。

きつねのコン太くんの“みんなの温泉”というお話です。
COUNTRY夢見の子育ての部屋に入っていますので
時間のある方はのぞいてみてください。
このお話では、コン太くんとモン太くんが二人で
温泉に行くのですけど二人だと寂しいなと感じるシーンがあるんです。
そこへ二人の友だちが現れ、みんなで温泉に入り
楽しい時間を過ごしたという展開になっています。
このお話を書いた娘は小学生ですけれども
そのお話のモチーフは彼女の感じたところから
きているのだと思います。
一人だと(二人だと)寂しいけど、皆が一緒だと楽しいんだという体験。

子どもたちはこのような体験を日常生活の中でしています。
そのときの教科書は、知識ではなく、
子どもたちの感情そのものです。
ところが、です。
赤ちゃんは泣きたいときには泣き、嬉しいときにはにこにこしていて、
とても自分の感情に素直に生きることができましたけど
次第にそれを失っていきます。
何故だと思いますか?

本来、感情をコントロールすることによって
赤ちゃんほどには喜怒哀楽が表に出てこないというのであれば
それは仕方が無いことだといえます。
けれども問題なのは、その感情を封じ込めてしまうこと、
それから、正しい形でその感情を収めることをしないことでしょう・・・・
感情を封じ込めた場合、その心は下手をすると病にかかってしまいます。
また感情を収めなければ、
それは人を傷つける形で暴走したり、爆発したりすることが起こってしまいます。
感情のコントロールを学ぶということ。
それはとても大切な部分です。
我慢をするという体験は、自分の欲望のままにやりたいことを
していてはいけない、という体験となります。
また感情を爆発させるのではなく、
相手とコミュニケーションする中で
自分の感じていることを伝え、わかってもらうということも
学んでいかなければなりません。
それは知識で習得することではなく、自らのうちの体験で
学んでいくことなんですね。





anneちゃん教育を語る その28


〜コミュニケーションの原点〜

20歳を過ぎた頃、私はベビーシッターの仕事を
手伝うことがありました。
講演会を聴きに来られた方たちの子どもさんたちを
少しの時間預かるんです。
普段から、預けられた経験のある子どもたちは、
その場にも慣れていますから、
泣くこともなく、思い思いに遊んでいます。
ところが、初めて預けられた子どもの場合は、
そうもいかないケースもあります。
何人かがあやそうと試みるのですけど、
激しく泣いたままの女の子がいました。
私は少しの間、その子を抱いていました。
すると、その後も少しの間は泣いていましたが、
次第に泣き止んでしまったので、
まわりの大人たちは、びっくり・・・

何か特別なことをしたわけではありません。
でも私は、知っていたんですね。
今ならそのことを言葉にすることができます。
子どもたちは、初めての場では不安を感じます。
けれども相手が自分を受け入れてくれていると
感じることができたならば、
その不安を解くことが可能なんです。
その感じるという世界で、人のみならず、
動物も本来コミュニケーションをしています。
次女がまだ幼稚園にも行かない頃、
手づくりをはじめて間もない私が、
手芸屋さんが展示会を催した会場へと足をはこびました。
夢中になって生地を見ている私の傍らにいた、娘が
いつのまにか同じぐらいの年齢の男の子と走り回っています。
その二人には、会話はいりませんでした。
目と目を合わせて次の瞬間にはもう
以前からの友だちのように心を通わせていたんです。

人は言葉を扱うようになり、大事なことを見失ってしまいました。
それは、何かというと心です。
想いとはうらはらな言葉を操るうちに
大事な心を見失ってしまいました。
どんなに“愛している”という言葉をささやかれても
何人もの女性と付き合う男性に心を許せるでしょうか?
その女性はどこかで不安を感じているはずです。
「私は本当に愛されているのかしら?」と。
それでもたぶん、その女性は自分に言い聞かせるのでしょう。
私は愛されているはず、だと。

星の王子さまの本は、そのことをも教えてくれています。

“本当に大切なものは、目には見えないんだよ。”





anneちゃん教育を語る その29


〜何もしない〜

意外とここのところがむずかしいみたいです。
たとえば、私は弟が引きこもりをしていた頃、
特別なことは何もしませんでした。
特別なこと、というのは言い換えれば
余計なこと、と言ったらよいのだと思います。

たとえば、「いい加減に仕事をみつけなさいよ」とか
「こんな状態を続けていてどうするの?
もっとちゃんと考えなさいよ」と言った言葉でしょうか。
引きこもりをする子どもを持つ親ならば、
子どもの将来を案ずるあまりそのように
あせってしまうんですね。

前回記した、泣き止まない子どもに関しても同様です。
泣き止まない子どもを抱くと
何とか泣きやまそうとあの手この手を聾します。
何かに意識を向けようとやっきになってみたり・・・
私は、ただその子の不安が解けるのを一緒に待っていただけです。
お母さんと言って、部屋の外を指差す子どもがいれば、
一緒に部屋の外に行きます。
それから、「まだお母さん帰ってこないね」といって
一緒に待ってあげます。
「すぐに帰ってくるからね」というように言葉で
あやしたりはしなかったです。
そのうちに落ち着きを取り戻した子どもは、
自然と遊ぶことに目を向け始めます。
そうすれば、もう大丈夫です。

今でこそ、そのことを言葉にできますけど
以前は言葉にならない感覚的なものとして
私は自然に行っていました。
相手がのぞむことを肌で感じ取っていたという言葉の
表現が正しいのかもしれません。

これを今風の言葉で言えば、
コーディネーター力というのでしょうね。
その場を読む、ということ。




anneちゃん教育を語る その30


〜おおらかな目で見る〜

のびのびと育てる・・・が、だんだんと
甘やかしになってしまって、
今度は、ちゃんと躾けていますか?
なんていう本が出たりしました。

こうあるべきと大人たちは、子どもたちに望むのですけど
子どもたちは子どもたちのペースで成長しています。
その子どもたちに寄り添いながら、
大事なことを伝えていく・・・
実はこのことがとても大事なポイントのように思います。

たとえば、日曜日に長女が友だちに家に行って
帰ってくるのが6時をまわっていました。
次女は5時をまわれば、家に帰らないといけないと
思っていてその通りに行動するのですけど
長女の場合は、部活で遅くなれば7時前にもなりますし、
中学生ともなれば6時半ごろまで平気で
友だちの家で遊んでいるみたいなのですよね。
彼はいたく遅く帰ってきたことがご不満で、
私に厳しく叱るように言いました。
でも私は彼の思うとおりには動きませんでした。
やんわりと遅く帰ってきたことをたしなめ、
次女が一人でお留守番をしているときには、
早く帰ってくるように、と言っただけです。

それでもね、その後で気づいたのですけど
最近同じ友だちに呼び出されて遊んでいたのですけど
本人も負担になってきていたみたい・・・
うちの長女は、水の星座だけあって相手にいいように
されてしまうんですね。(私も同じタイプなんですけどね)
そのため小学校に入った当初も
やんちゃな子に振り回されていたのを覚えています。
ところが昨日は久しぶりに小学校時代からの友達の家で
遊んできたというのです。
やっと、自分にとって一番居心地のいい友だちのところに行くために
断る勇気が身についたみたいですね。
私がさりげなく、何度かそんなふうに相手のいいように
振り回されていた小学生時代の話を持ち出して、
結局は自分と合う友達がいいんだ、という話をしたのが効果あったのかな?
では、今度は、周りは遅くまで遊びたがっても
自分だけは、帰宅時間だからと抜けて帰ってくる勇気も持ってほしいな。
と今度さりげなく伝えておこう。





anneちゃん教育を語る その31


〜レール〜

私が子育てについて完璧な親を目指しているわけではないんです。
むしろ自然体といったらよいでしょうか・・・
20代の頃より、自分を育てた親の
子育てについて考えておりました。
今は自分の子育てに自らの体験を照らし合わせながら、
悪戦苦闘しているのが本当のところです。

先だって兄が妹を殺してしまったという
女子短大生遺体切断事件の犯罪心理学を読みました。
二人の子どもを失ってしまった、
もっと子どもたちの気持ちを聞いてやればよかったと、
言ったという親の言葉が、以前より私の目に止まっておりました。
もちろん、子の幸せを願わない親はありません。
ただ、親自身が子どもにレールを敷いてしまったことが
災いをもたらしたのだな、とふと思いました。
親はそんなつもりはないというのかも知れません。
むしろ“そんなつもりはなかった”という子育てほど
怖いものはありません。
なぜなら無意識のうちに、結果を生む原因を
作り出していたということになるからです。
子どものためを思って敷いたレールが
子どもにとって負担となっていることが
見抜けてなかったということなんですよね。
「いや、私は方向転換をするように進めた」と
いうかもしれません。

でも、子どもがその時点では自分の道を決められなくなっていたのです。
親の敷かれたレールを走ることしかできなくなっていたのです。

なぜここまで見抜くことができるのかというと
私の弟もまた親によって敷かれたレールを
何も考えずに生きていたからです。
自らが脱線するまでは・・・・



anneちゃん教育を語る その32



〜魂のレベル〜

不思議なんですけれどもひとつのことを書き出すと
次から次へとテーマが向こうからやってきます。
それは、可愛いエミリー(L.M.モンゴメリの小説)がいう、
光のカーテンの向こうにあるインスピレーションが
突如としてやってくる、という感じです。
そしてそれに色づけしてくれるのが、
ブログに書き記したことに対するコメントだったりします。

私は教育を魂のレベルで考えることを心がけています。
そして、かつて読んだ本で得た知識を
自分の経験の中で照らしあわして、
あらたにな視点を見出していくようにしています。
人は、何も考えなければ自分の過去の経験と
自分の感情に基づいた行動を起してしまいがちです。
無意識、というものにはそのような背景があります。

親が敷くレールとはそのようなところから出てきたものが多いですね。
自分が大学にいけなかったから、子どもには大学に行かせたい、とか
代々医者の家系だから子どもたちも当然その道をいって然るべきだ、と。

親がレールを敷くことが悪いとか
そのレールに乗ることが悪いという問題なのではありません。
魂のレベルで見通せば、
あえてその子どもはその親を選んできたのです。
偶然とは必然、という言葉が言い表しているように
その子どもが置かれた環境とは、ある意味
その子に与えられたものであるんですね。
もちろん、問題を起さないですめばそれにこしたことはありません。

実は、起きてしまった問題を後悔するよりも
もっと大事なことがあります。
その経験はその子の選択により、起きるべくして起きたことなんです。
失敗した、というのは世間が規定することであって
その失敗から、大切なことが学ぶことができるということなんですよね。


ある事件を子どもが起したときに
「私はこんな子どもに育てたはずではなかった」というのか
それとも「私は子どもと共に罪を一生背負って生きていきます」と言うのか。
どちらも事件後に親が、マスコミで語った言葉です。
(記憶の中の言葉なので正確ではないかもしれませんが)
それらの言葉の背景には、大きな違いがありますよね。