マザーテレサ 《私の描く精神世界その1》


マザーテレサは最後に
こう言ったのだそうですね。

 言葉が多すぎます

精神世界を
語る人は多く存在します。

けれども
彼女のように生きることのできる人は、
どれだけいることでしょう・・・

私はあえて精神世界そのものを
語らないようにしています。
それよりももっと大事なものを
現実の中で見出していきたいからです。

言葉は、光透波。
それは、言霊そのものです。
その人の生き方が、
そこにあらわれます。





神との対話 《私の描く精神世界その2》


私の場合は、むずかしい言葉を語らないで、
また知識に頼ることなく、
本質をさぐってみたいんです。

多くの本を以前は読んでいました。
むさぼるように、です。
そうですね。その読書歴をメモしてみたら、
年間で100冊はゆうに超えていた時期もありました。
3日に1冊は読んでいたペースですね。
でも、時間があったんですよ。
あの頃、毎日1時間以上かけて、電車通学していました。
おまけに、短大の講義中も
教科書の陰に隠れて読書することもできましたし。

子どもの頃から、書店めぐりが趣味でした。
本の背表紙と、本の帯に書かれたレビュー、
それに本の表紙の裏側に書かれたあらすじと
作者のプロフィール・・・
それらの情報をもとにぱらぱらと本をめくると
その本が読むに値する本かどうか
あらかた、見極めることができました。
そのように本を選択することを覚えました。

今はあまり、本を読みません。
ある程度、読みつくすと本質的なことは、
それらの本の最大公約数になるんだな、と
わかってくるようになったのです。
もちろん、知識は別です。
その意味では今も、貪欲に読むべきかもしれません。

書店に精神世界というコーナーが設けられるようになったのは、
平成に入ってからのことです。
それから、浮上してくる、その分野の本の多いこと。
次第に本が氾濫しているばかりで、
読むに値する本は多くないと感じるようになりました。
要するに見えないものを扱っているので
いろんな人が、いろんな視点で解き明かして言っているものの
作者が本質を言葉にして、解き明かせるのは
氷山の一角にすぎないのだな、と理解しました。
しかも作者の、人格の成熟度が、
文章や内容にかなり影響しています。
ですから、大事なのは、そこに書かれた言葉よりも
むしろ、そこに言葉にしきれないでいる本質の部分で
あるかもしれません。

そして、知識を多くかき集めることよりも
自分の人生という体験の中で、その知識を
自分のものにすることのほうが数倍も大切なことを知りました。
こうして、私は本を読む代わりに
自分自身を見つめることに専念するようになりました。


〜『神との対話』  ニール・ドラルド・ウォルシュ(サンマーク出版)〜

《感情は魂の言語 》

感情は魂の言語だ。
何かについて、自分にとっての真実を知りたいと思ったときには、
自分がどう感じるかを探ってみればいい。
感情というものは、なかなか見つからない。自覚するのはさらにむずかしい。
だが、最も深い感情のなかに、最も高い真実が隠されている。
要はこの感情をつかむことだ。




モンゴメリ《私の描く精神世界その3》


赤毛のアンで有名になったルーシー・モード・モンゴメリ。
彼女の本と共に私は少女時代を過ごしました。
繰り返し、繰り返し彼女の著書を読みました。
赤毛のアンだけではありません。
彼女が生み出した、エミリー、ジェーン、パット、
ストーリーガール。
そのどの少女たちも自然の中で
のびのびと育っているのでした。

彼女が自分の周りにある自然を愛しているのは、
自然を描く、詩のような表現から感じられます。
人々は、カントリーな生活の中で、
昔ながらのパッチワークをしてお茶を飲みます。
そこでの世間話が、彼女のお話のストーリーの
材料でもあります。
素朴な現実の中で個性のある人と人とのかかわりを
彼女は描き続けました。
そして、教員生活を経験していた彼女は、
知識のための勉強ではない、学びの場を
ところどころに織り込んでいたりします。

時々登場人物の少女たちが、
特別な力を発揮したりします。
千里眼、人の心を見抜く、
夢で見た、いなくなった子どもの居場所を
寝ている間に絵に描いていた、なんていう
場面もでてきたりします。
アイルランドには妖精がすむというような、
不思議な地である、そのような祖先の血を
プリンスエドワード島の人たちはひいているからでしょうか。

彼女自身もそのような不思議な力に
関心を寄せていたのでしょう。
表には出てこないですけれども
自叙伝を読んで彼女が人智学に
興味をよせていたことを知りました。
牧師の妻として、その人生を生きながらです。
現実の生活において、彼女は
欝の病気を持つ夫を支えながら、
いろいろと大変だったようです。
その現実をのりきる力になったのが、
彼女の想像力でもあったのでしょう。
私も知らぬ間に彼女から多くを
学んでいたのだと、今は思います。




精神力 《私の描く精神世界その4》


今でこそ、精神世界というと
かなり狭められた分野をいうようになりました。
けれども本当は、そこには
文学、歴史、心理学、社会学、科学という、
あらゆる分野が入るんですよね。

今ほど、ネットが普及していなかった頃、
そして、私が子育てに追われ、
大好きな書店めぐりができなかった頃、
友達が教えてくれたのが通販の精神世界関係の
本のお店でした。

ブッククラブ回。

そのカタログの厚さときたら、
そうですね、旧約聖書をこえるほどでしょうか。
私は、書店で立ち読みをする代わりに
そのカタログに目を通していました。
もちろん、そこで本も注文して、
取り寄せていました。

このように私が書いているのは、
精神世界を特別なものとして捉える人たちと、
意識の差を感じることが何度かあったから、です。
人間の脳は、眠っている部分の方が多いそうですね。
現実的な世界しか見つめていない人たちは、
それに必要な部分しか活動しません。
けれども、霊性そのものが成熟していくにつれて、
その眠りついていたものが、自然に開いていく・・・
そういうものではないかと私は感じています。
それを無理に開かせるのは、
車の運転の仕方を知らないものが
車に乗るようなものです。
本来、とてもすばらしい乗り物であるのに、
それが凶器と化してしまうことさえあるのだというような・・・

私が子どもを生んだとき、父が薦めてくれた本が、
七田式の右脳教育に関する本でした。
ごく幼いうちに右脳教育をほどこすと
特殊な能力が早いうちから目覚める、
というものでした。
ブロック壁の向こうで、子どもがブランコに
乗っているのがその子には見える、なんていうのが
例として書かれていたのを覚えています。
でも・・・それってとても危険なことではないかしら?
と私は思いました。
その力をその子どもたちは、自分でコントロールして
扱えるようになるかしら?

一時期、英才教育をほどこされた子どもたちが、
スポーツの世界で注目を得た時期がありましたね。
けれども、スランプに陥ると立ち上がれずに
消えていった人々が
記憶に残っています。
英才教育で才能をのばすことはできても
精神力を育てることはできません。
本来、スポーツをすることでその精神力が
鍛えられていくものでしょうに・・・





ブラザーサン・シスタームーン 《私の描く精神世界その5》


聖フランチェスコの最後のシーン。
「私の何が間違っていたのでしょうか。教えてください」
そういって、フランチェスコは、ローマ法王に尋ねた・・・。
そのフランチェスコの足下にローマ法王は跪いた・・・

思い出の中のシーンだから正確さにはかけます。あしからず。
このシーンが語るもの・・・
フランチェスコが偉かったのではなく、
力を持っていたのでもない。
ローマ法王が、カトリックの頂点にありながら、
逆にそこにいるから見えていたのだと思うけれども、
その組織故に、届かなくなっている神の言葉を
彼が語っていたことの中に見いだして
ひれふしたのです。

形にすることで、逆に見失うものがあります。
マニュアルにすることで本質が届かなくなるのです。
規則にすることで何が正しいのかが見えなくなる人がいます。
イエスはユダヤ教を超えるように人々にといたのです。
モーセが十戒を作ったのは、戒律を守らせるためではなく、
人として生きる道を説くためでした。
規律は、幼い子どもに親が教えをさとすようなもの。
でも、自分で判断が出来るようになったとき、
人は自分で判断して、その約束事を越えていくことができるように
思うのですが・・・
いつか、子が親をも越えていくように・・・





子どもたちが幸せを感じる時 《私の描く精神世界その6》


子どもたちが生れ落ちた時、その魂は透明色なの。
それはどういうことかっていったら、その子が本来もっている、
個性のまんま。
ある子は、すごい神経質。ある子は、泣いてばかりいるのに、同じ環境にあって、
ある子はにこにこといつも笑っている。
魂は、自分の可能性の全てを選択して生まれてきたの。
それは種の状態で、目に見えない。
けれども時が満ちて、条件が備わった時、魂はその可能性を開花する。
そのために試練を選択してきている子もいるんだけどね。
完璧っていうのは、100点満点の状態で生まれたってことではなくって、
その可能性をもふくんだ魂そのものの状態。
だけどね、その可能性の芽をつむのは、周りの環境なんだ。
子どもたちにとって、一番不幸なのは、
自分の中の可能性が信じられなくなること。
誰が、その芽を摘むの?
それはね、「いい子に育てたい」って、その子のカラーを塗り替えてしまう大人たち。
もしくは、愛情という養分を与えられずに、
自尊心が育たないまんま放置されてしまうこと。
私なんていなければいいんだ、とか
私はだめな人間だとか、私が悪いんだとか、
自分で自分の可能性の芽を育たなくしてしまう、
周りの人々の言葉とその子の置かれた環境。
最初から環境を選択してきている部分もあるけれども、
それには魂に傷をつけるプログラムなんて本当はなかったはずなの。
魂は乗り越えるために、試練を選択するのだから。
周りの人たちが子どもたちに用意して上げるのは、
スポイルではなくて、その子に必要な支援なの。
現代風の教育という視点よりも、寄り添ってあげることかも…。
流奈が生れ落ちた状態は、肉体的には、私たちには考えられないほど、
苦難にみちた条件だったけど、
流奈が幸運だったのは、必要な支援のみが与えられ、
自尊心を傷つけたり、自信を喪失させるような人たちが
周りにいなかったこと。
そうなのよ、子どもたちが幸せだと感じるのは、
流奈のように、持って生まれた可能性の全てを開花させる
ための配慮が与えられることでしょう。
それには、自己表現も含まれるよね。
だって、流奈に自己表現する方法が与えられなかったら、
彼のすばらしい魂の声を私たちは聞くことができなかったもの。




支配の歴史 《私の描く精神世界その7》

支配の歴史が始まったとき、
真実は人によって塗り替えられるようになりました。
誰かにとって、利益を得るように
物事が進められるようになったのです。
それが、自分たちの支配に、
悪影響を及ぼすからという理由の元、
その真実を人は隠すようになりました。
決して、本当の理由をいうことはなかったでしょうけど・・・
歴史の表に出てくる史実はそのようにして
作られた史実です。
その支配者たちに不都合だった
歴史は、表舞台には出てこないように
隠されてしまいました。

神が、人を支配するのではないのです。
人が、そのような位置に神を置いたのです。
その時から、宗教は、
元の教えという概念から離れて、
人類の上に立って一人歩きを始めました。

本来、宗教は、
上意下達的な、ものではなかったのです。
光が、地球を覆うように、
人々の心にいきわたってほしい・・・
そのようなものだと、私は感じるのです。





真理はその取り扱いを気をつけねばなりません 《私の描く精神世界その8》


私は、自分が好きです。
ドジでおっちょこちょいで、
しょっちゅう失敗ばかりしています。
こんな自分が最初から好きだったわけじゃないんです。
今でも、落ち込んだりもします。
でもそういうところも含めて私である、私が好きです。

私が自分を好きだと思えなかった頃は、
自分に自信がなかったからでしょうね。
母親は、完ぺき主義でしたから、
こうあるべき姿を私に求めていました。
「なぜ、こんなこともできないの?」
「そんなことをしちゃだめでしょ」
ああしなさい、こうしなさい、という
指示の中で育っていったので、
たえず人の目を意識して生きていました。

その日本人の子育ては、アダルトチルドレン症候群の
典型の子育てなんだそうです。
つまり、子どもの中に自尊心が育たないんです。
あなたは、あなたのままでいいのよ。
あなたのやりたいようにしていいのよ。
そんな自分が、与えられないんですね。
私がそのような枠を超えることができたのは、
母の元を離れて、宗教の世界に入った経験によるのだと
今になって知ることができます。
親よりも神を愛しなさい、と宗教は説きますよね。
親の支配下を離れて、自分なりの生き方を
追求することができるようになるその経緯が
私には必要だったのかもしれません。
どうしてその宗教から離れたかという話は、
長くなるのでここではしませんが、
そこで学んだことは、マインドコントロールということでした。
それは、他人からのマインドコントロールだけではありません。
それよりももっと、怖いのは自分で自分をマインドコントロールすると
いうことだと思います。
そして、人が気づかないだけで、普段の日常のなかに
そのマインドコントロールが多く存在しているということも
今はよくわかります。

さて、オウム真理教が、地下鉄サリン事件を起こしたとき、
私はテレビでそのニュースを見た瞬間に
それがオウムの仕業でないかと直感しました。
なぜかというと、私が過去に存在したという宗教がオウムと似た、
神という名前を利用したカリスマ団体だからです。

真理は、その取り扱いを気をつけねばなりません。
ヒットラーも若き頃は、ジーザスクライストのように、
ありとあらゆる思想の勉強をしていたみたいです。
それがあるときから狂い始めたのです。
麻原彰晃もその点においては同じです。
最初は、今の精神世界を求める人々と同じように
真理を求めていたんです。
けれども高みにのぼるに連れて、その道を
誤るようになりました。

真理がすばらしいものなのか、それとも
その真理を知った、あなたがすばらしいものなのか・・・
自分はすごい人間なのだ、と思った瞬間、
その真理は形を変えていくのでしょ
う。




母親との関係を超えたとき 《私の描く精神世界その9》


子どもは親との関係が、人間関係の基礎を築きます。
もともと持っている個性も影響してきますが・・・
人は相手をコントロールして、
エネルギーを奪おうとするという関係を築きがちです。
その関係をコントロールドラマというそうです。
その家族の関係を力によるものではない、
よい関係に築きなおすのがアドラー心理学の
家族療法なのかもしれません。
だれか一人だけカウンセリングするのではなく、
家族そのものの言い分を聞いて、調整していくのです。
でも、それではたりないものがあります。
それは奪うことでエネルギーを得なくても
与えることでエネルギーを得ることができるということです。
そのことを学ぶことだとが大事だと思うんです。
愛は奪うものではなく、与えるものだと言うことですよね。

これは今朝、思い出したことです。
私がどうして母親との関係を超えられたか、ということです。
私は、どちらかというと過保護で支配的な母親のもとに育てられました。
長女としての期待されつつも、妹よりも出来が悪いと常に比較され
コンプレックスを植えつけられて育ったので、
自分に自信がなく、親の顔色をうかがっていい子するような
子どもになっていました。
それが、変わるきっかけとなったのは、
20歳の頃、親元を離れて関西に移り住むようになったときに
宗教にはまりました。
宗教は、親よりも神との関係を重んじる教えですから、
それはある意味親からの自立をうながしてくれるものと
なったのだと思います。
私は親の言うことを聞かずに6年くらい献身生活を送りました。
その後、その宗教を離れて結婚し、里帰り出産の為に
実家に帰ってきました。
相変わらず、母は私に対して支配的でした。
でもね、関係が徐々に変わってきていました。
親のいうままにはならないということです。
あるとき、子どものことで親があまりにうるさいので、
私が文句を言い返しました。
感情的になって親に反発したりすることがなかったので
母親は内心びっくりしたのでしょう。でもそれから変わりました。
私は、その時一度きりで、感情をあらわにすることがありませんでした。
というのは、次第に年を取った所為もあるのかもしれませんが、
母が強さを前面に出さなくなってきました。
そして、私の言うことにもきちんと耳を傾けてくれるようになりました。
結局はお互いを大事にするような関係に変わりました。
けっしてそれまで親が私を大事にしていなかったというのではありません。
ただ、母は、自分が生みの親に大事にされないで
寂しい思いをして育ったために
わが子を支配下において自分のものにしておきたい気持ちが強かったのだと
私は分析するようになりました。
過保護だったのは、周りの目を気にして育った母が、
自分の経験から「人様に迷惑をかけないように」育てたかったためと思われます。
けれども今は互いが信頼しあえる親子関係に変わりました。
その土台には、愛があります。





夫婦の関係を超えたとき 《私の描く精神世界その10》


実際的観点から考えた場合、これは、成長していく道を選ぶか、
そのままでいることの方を選ぶのかの、ニ者択一の問題です。
パートナーは、あなたの可能性を最大限に引き出して
成長させてくれる存在にもなり得ますし、
あなたを同じ場所につなぎとめておく錨にもなり得ます。
どちらの道を選択するかは、パートナーに対する
あなたの接し方で決まります。
それは逆から見ても同じことで、
あなたもまたパートナーの態度次第で、
相手の成長を助けることもできれば、錨になることもできるのです。
ところが私たちはその道を自分で選べることに気づいていません。
そのような自覚を持たないままに、
ただ漫然と受身の姿勢で二人の関係を
成り行きに委ねてしまっています。

『私をコントロールしないで!』
(リチャード・J・ステナック博士著 VOICE)


親子の関係を超えるひきがねになったのは、
自分が子育てをはじめてみて、
いい子ぶっていてはちゃんと子どもを育てられない、と
いうことに気づき始めたことでした。
長女は、人見知りが激しくておとなしい方でしたけど
それでも3歳頃になると手をあますこともでてきました。
次女は、やんちゃで怖いもの知らずでした。
自己主張も激しくて、いうことを聞かない場面が多々出てきます。
そんな子どもたちと向き合う中で、
時にはこちらも感情をむき出しにしておこらないと
いけない場面が出てくるようになりました。
次女は、たたいたことも何度かあります。
赤毛のアンがアンソニーパイをたたいたようなシーンを
想像してくれたらいいと思います。

さて、夫婦の関係においても私はいい子をしていました。
仕事中心で、家庭をかえりみなくても
それは仕事が大変なんだから仕方がないと
いうように自分を殺していた部分が多々ありました。
けれども人には、ストレスのつぼというものがあって
そのストレスのつぼにはまりきれないほどに
ストレスをかかえることはできないのだと、
結婚して10年ほどしたところで次第にわかってきました。
それまでは相手の我が儘をもプラス思考でなんとか
受けとめていたものが次第に受けとめられなくなしました。
そして、あるとき爆発しました。
それ自体は、小さなことでした。
冷蔵庫に賞味期限のすぎた珈琲フレッシュがあって
それを気がつかずに珈琲に入れて飲んでしまったというのです。
お腹を壊したらどうするんだ、とぶつぶつ文句を言うのです。
「ばっかじゃない。長女でさえ、その賞味期限を過ぎているか
過ぎていないか自分で見てるのに、自分で確かめないのが悪いんじゃないの」と
普段は言い返さない私がおこって言いました。
そうするととたんにしゅんとなり、そんなにおこらなくても
いいじゃないかと小さな声で言ったのを妙に覚えています。
その一言は私にとっては大きな展開でした。
けれども相手には伝わらないんですね。
こちらが伝えたいことをはっきりと言うようになっても
受け止められず、以前のような私に戻って欲しいと
いい子だった頃の私を望むんです。

けれども私はそのコントロールドラマを脱してしまいました。
相手は自分の我が儘が通る関係を望み、それを
受け止めることが愛だと思いこんで耐えていたドラマです。
もし、その時の展開がなければ、次の出会いも
同じように耐えるだけの関係しか築けなかったでしょうね。
コントロールドラマとは実は、その人の魂の越えるべき
課題として選択してきていたものであるのでしょうね。




意地悪コロ助ぶーたれぴー♪ 《私の描く精神世界その11》


なんのことかと思う人もいれば、
すでにこの言葉を目にした方もおられるのではないかと・・・
実は、私の中のコントロールドラマを
整理するきっかけになったのが
この「意地悪コロ助ぶーたれぴー」なんです。
これはもちろん、彼のことです。
彼ときたら、その言葉がぴったりなやつで、
最初の頃は、きまず〜い沈黙の時を
何時間も過ごしたりしました。
ときには文句を言い返すときもありました。
ところが、初めてこの言葉を発したとき、
彼はそれまで、むっとしていたのが
噴き出すではありませんか。
その時以来のお気に入りの言葉です。
コツは、こうです。
思い切り愛情を込めていうんですよね。
たぶん、怒りの感情をこめてこの言葉を発しても
効果はないのだと思います。
これが皆に通じる言葉なのかどうかはわかりません。
たぶん、言葉が問題なのではなく、
大事なのはその“感情の流れを変える”ってことなのだと
と思います。
コントロールドラマのことについて書かれた本には、
そのドラマにまきこまれないことが大事だと言うのです。
けれども感情的になりそうな場面で、
その感情まきこまれないでいるというのは
とても難しいことだと思います。
そうですね、プラス思考でその感情を転換するのが
一番よいのだと思います。
私の中で、その感情を瞬時に転換してくれたのが
この言葉だったのですね。

けれどもそれだけでは足りないような気もします。
違う人格を持っている人間同士が
ともに生きていくのですから、
ぶつかることは多々あると思います。
ぶつかるたんびに流れを変えたらそれで済むのかといえば
決してそうではないと思います。
それはお互いが向き合って、よりそって生きていく
気持ちを大切にできるかどうかということなのだと思います。




思い通りに生きるとは想いの通りに生きること 《私の描く精神世界その12》


思い通りに生きるとは、
想いの通りに生きるということなんですね。
そのことはすでにいろんな本にも
書かれていることなのですけど
そのとおりのことが行うのが結構むずかしいかったりも
するのです。

本当は、簡単なことなんだよ、と言います。
そうです。簡単なことです。
赤ちゃんは、悲しいときに泣きます。
笑いたいときに笑い、眠りたいときに眠ります。
その行動は最初想いの通りだったのです。
ところが、徐々にそれが変わっていきます。
というのは感情のままに流されて生きるということが
思い通りに生きるということではないからです。

一昨日の夜に、「頭の中の消しゴム」の映画を見ました。
その中に書かれてあった言葉が印象に残っています。

許すということは心の部屋を1つあけること。

頭の中では「許さなきゃ」と思っていたとしても
想いが伴っていないうちは、そこにはギャップがあります。
それでもあえて心の中に部屋を作って憎しみに譲るのです。
それは、心を広く持つことによって
許すことができるようになるということにつながっていくんですね。

一瞬にして“許す”ことができることもあれば、
時間がかかってからでしかできないこともあるかもしれません。
けれどもそのようにして自分の心模様を見つめながら、
思いたい方向へと自分を持っていくことができるようになったとき、
私たちは自由に生きることができます。
思いの通りに生きることができるようになると
その思いが現実をも動かすことができるようになります。
何もしないで、ただ思えば現実が動くのではないのです。





最大の教科書は自分 《私の描く精神世界その13》


自分を見つめなおすとき、
何かが見えてきます・・・
子どもが病気をすることも、
何かのサインであることが多々あるのですけど、
それをつい見逃してしまうのは、
忙しさにかまけているせいでもあり、
また自分可愛さで、周りを
客観視できないせいでもあるんですよね。

最大の教科書は自分なんですよね。
自分に起きていること、
自分をとりまく状況、それらすべての事象が
教えてくれているのですけど、
たいていは見逃してしまいます。
仕事が忙しいから、家事に追われているから・・・・
とただ時間ばかりが過ぎてゆき、
することに追われてしまいます。

立ち止まって、
自分を振り返るとき
時間が止まる瞬間が現れてきます。
時間に流されている自分が、
中心に戻る瞬間です。





無意識の領域 《私の描く精神世界その14》

最近同じ事件が、連鎖のようにおきることが
とても気になっています。
転落事故のあとに続く転落。
親を殺して、家を焼失させる事件のあとに
また同様の事件が起きてしまっています。
決して計画的ではなく突発的に
同じような事故や事件が起きています。
実は、それらの事件、事故を起す背景には
無意識のままに流されているのではないかと
ふと、思ってしまいました。

実は、人は自分が意識している部分というのは
氷山の一角ほどの範囲で、その水面下の
見えないところには無意識のうちに
行動していたりする部分が多々あるといいます。
私はその分野には詳しくないので
直感のまま書き記しています。
この分野に詳しい方が、この無意識については
語っていただきたいと思います。

以前に無意識について書いたことがあります。
それは日常的な範囲での行動で、
主としては家族との関係において現れるケースでした。
その家族の人間関係のストレスが高じて、殺意に変わった時に
あのような事件がおきてしまったといえます。
けれども本来、家庭の中でおさまるべき意識が、
類似事件として波紋のように社会に広がるとなると
その意識はたんにコントロールドラマという言葉では
済まされないような気がします。

人々が受動的に、情報を得るばかりで、考えることをしなくなりました。
その希薄な意識しかもたなくなった人々が、
メディアを通して知らされる事件をそのまま演じてしまいます・・・・
まるで、洗脳されてしまったかのように
人々は考えないで行動してしまいます。
そのようなことであって欲しくはない、ともちろん思っています。
そのような無意識による支配は、意識的に排除して
私らしく、自己実現する人生を取り戻すことが必要なのだと思います。




信念が行動を生み出す 《私の描く精神世界その15》


 危機や暴力、殺戮、戦争を生み出す、生命/人生についての
五つの誤解というのはつぎのようなものだ。

1人間は互いにばらばらである。
2人間が幸せになるために必要なものは、十分にはない。
3十分にないものを手に入れるためには、
 人間は互いに競争しなければならない。
4人間のなかには、他よりすぐれている者がいる。
5ほかの誤解によって生まれる大きな相違を解決するために、
 人間が殺しあうのは適切である。


 あなたがたは、他人が恐怖のもとだと考えているが、
じつはあなたがたの信念が恐怖のもとなのだよ。
だから、平和に仲よく幸せに暮らせる世界、という夢を
実現しようと思ったら、その信念を変えなければならない。
わたしは、怒りや暴力、喪失、悲しみ、恐怖の状況は
政治的手段や経済的手段では変えられない、と
何度も何度も言っている。
影響を及ぼす―短いあいだ、何かを変えるとか、中断させる
―くらいならできるだろうが、それを一掃することは、
信念を変えないかぎりできないのだ。

(新しき啓示〜ニール・ドナルド・ウォルシュ/吉田利子訳〜より引用)


あなたは、どんな信念を描いていますか?
今ある世界に流されないでください。
世間に従うということはすなわち、
今の世界に存在している信念を受け入れていることになります。
長いものにまかれる処世術を受け入れれば、
それがその人にとっては正しい信念になってしまいます。
100匹目のサルというお話をご存知ですか?
100匹のサルが芋を洗うということを覚えたら、そのサルの行為は、
無意識を通じて、全世界のサルに伝播されてしまうというたとえ話です。

それは今、人々が信じている考え方を変える人が、
ある数字を越えたときに、それは無意識を通じて伝播することができると
いうことを意味しているのでしょう。
(流行とはそのようなものですよね)
流されるままに生きる人は、自分本位に物事をとらえ、
それが破滅の方向にあったとしてもそこまでを見通せません。
私の中で、犯罪の連鎖→無意識→信念が行動を変え、世界を変えるという
流れへと結びつきました。
そして付け加えるならが、、北朝鮮の“ものはいいよう”ともいえる外交が
まかりとおる国際社会であるということが、
この文章へとかりたててくれました。

今日はたなばたの日です。
私は世界というものを今一度再考していきたいと思います。
織姫と彦星が再会する日ですから、願いは必ず叶います。




自分探し 《私の描く精神世界その16》


探し物は何ですか・・・という
井上陽水の歌を思い出しているときに
ふと、気づいたことがあります。

自分探しをするときに、
人は、外に探しに出ることが多いのではないでしょうか。
本の中に答えがあるのではないか、と思ってみたり、
精神世界系のセミナーの中に求めてみたり・・・
そして、今の自分は本来の自分ではなく、
理想にかなった自分の姿を
一生懸命イメージしていたりするんですよね。
そうでなければ、私はいまのままで、完璧なのだと
言い聞かせていたりするのです。

でも、本当の自分探しとは、鏡に映った現実の自分が、
今の自分であると認識するところから始まるのだと思います。
もし、そのありのままの自分を認めたくないのだとすれば、
その認めたくないという想いがあるということを
知ることが始まりだと思います。

たとえば、
“ありがとう”が魔法の言葉だと本で知ると
一生懸命、“ありがとう”を口にしているとします。
でも、言葉にしていながら、
本当は、“ありがとう”と思えない自分があったりするんです。
その自分を省みないで、
ありがとうといい続けていても魔法の効果は起きるかもしれません。

けれども、もし、ありがとうと素直に思えない自分のことを
見つけたとしたら、もう一歩踏み入れていって、
そこにありがとうとは思えない“何か”がなんなのかを知り、
その想いをときほぐすことができたならば、
ありがとうは、言葉にしなくても、
その感謝の想いを常に抱いていることができるようになるでしょうね。




コントロール 《私の描く精神世界その17》


陰と陽
緊張と弛緩
愛と憎
プラスとマイナス

すべての存在には様々な2相があり、
単純なことですけど
その2相のバランスにより、
物事ができあがっていきます。

陰陽師の映画を見る以前に
上述のフレーズが私の中にありました。
安倍靖明が、呪術を行うシーンを見て、
その祝詞に耳が止まりました。
それこそ、映画のワンシーンではありませんが
なんだか懐かしいような気がしたのです。

祝詞に使われるコトバは、
カタカムナに通じるもののように思いました。
そのコトバが持つ音の波動が、共振作用を持ち、
物質にまで作用して、力を生み出すということ
なのでしょうね。
論理的に言うとそういうことです。

けれども、それを行うために必要なのは、
自らのうちにある秘められた力を解放し、
それをある方向に定めて持って行くということです。
力をコントロールする術は、
感情をコントロールすることと同じです。
目に見えない力に焦点をあてることよりも
むしろ大事なのは、まずはその自らのうちの
感情に目を向けることなのでしょうね。